参議院選挙に向けて、各政党とも目立つようにとがんばっています。

 議員が地元の各利益団体や地方議員に対して支持を取り付けるという政治手法から、目に見えないテレビの向こうの国民に向けて支持を取り付けるという政治手法へと変化してきました。

 その場合、テレビなどのメディアに対して露出していないと、その存在すら失ってしまいます。

 よって、露出すべく、過激で響きのいい言葉を連呼することになります。

 それだけ、心情に訴えかけるという政治に変化していたことを示します。

 これは郵政解散と同じ手法ですが、郵政民営化して、普通の人たちの生活がどのように変わったのかというと、ほとんど、変わらない。

 郵便局と関係の深い人たちにとっては大きな変化があったと思いますが、郵政解散に沸き、投票を行った人にはほとんど変化はない。

 要するに、関係ない人が、人の利害関係のある部分へと介入する、それも利害なしにという構図があります。

 その際の、投票のための情報は、小泉氏の「民にできることは、民へ」のそれだけ。

 情報もなにもあったものではありません。

 言葉による政治は、どうしても感情論となり、本当の有意義な解決へと向かうわけではない。

 投票原理民主主義の問題点の一つであると思います。

 我々のような一般人は、その政策の問題点について、すべての情報を持っているわけではありません。

 情報は、メディアから流れる政局、政治家のパフォーマンスだけです。

 人ほど難しいものはありません。

 かつて、メディアで騒がれた人気者の社長たちが後にどれだけ悪いことをしていたことか。

 まだ、長年つきあってきた人で、地域にいる人ならまだしも、テレビでしか見ない人の人間性などなかなかわかるものではありません。

 現在の民主主義のいきづまりを感じます。