二大政党制を追ってみると、意外なことに気付きます。
まず、以前の議員本位だった国会から、党中心の国会へ。
ようするに、党の官僚化の進行です。
そもそも議員ひとりひとりが個別の心情をもって法律にあたっていたのを、組織化した党が判断し、解決する。
そこには、議員ひとりひとりの議員そのものの味はないわけです。
この方法というのは、まるで、田中派と同じ図式であり、まさに、小沢氏の政治手腕のたまものともいえます。
政党助成金、比例制などなど、少しずつ二大政党制、いや、政党による議員支配、もっとわかりやすく言えば、党執行部による議員の支配。
かつ、議員の官僚化といえると思います。
政治の政策への密着化を行うためには、議員が政策の熟知が必要であるし、一体として処理していく必要があります。
そのためには、議員がバラバラであれば、そういうことができないわけで、バラバラな政界を見てきた小沢氏が、かつての親分である田中角栄を見て、党の官僚化を切実に感じたのでしょう。
政治家の官僚化こそ、官僚政治を排除していくための必要条件であるとにらんだのでしょう。
その思惑は、あたり、官僚政治、要するに、官僚の情報独占、政策の企画独占能力は薄れつつあります。
しかし、よく考えてください。
官僚という人種がいますか。
顔に官僚と書いていますか。
所詮は人の集まりであり、官僚政治、いわゆる選挙を受けていない官僚、官僚の政治が終わったとして、政治が官僚化してしまい、官僚組織となってしまえば、結局は同じこと。
今まで、官僚になっていた人たちが、政治家になり始め、同じような政治をするだけ。
ましてや、選挙に出馬できる人が一部のひとに限られていることを考えれば、また、アメリカのような猟官政治を取り入れ、そういう不明確な出世システムをつくれば、また、藩閥政治と同じような図式となるのではないでしょうか。
さらなる党利党略、私利私略の政治になるのではないかと思います。
そういう政治が本当に必要なのか、われわれは考えさせられる岐路にたっているのではないかと思います。
ただ、民主党ひとり勝ちはどうやらなさそうです。
そのことだけでも、日本は救われたといえるかもしれません。