裁判員制度については、確かに、裁判員になった人が、いろいろな証拠として提出されているものを見たり、残酷な殺害についての事実を知らなければいけないので、非常な心労になるだろうと思います。


 しかし、このまま、マスコミなどで、司法と国民との感情的差が続いてもいいのでしょうか。


 司法作用というのは、一般国民については、ほど遠いものです。


 また、司法というのは、案外、世論に弱いところがあります。


 マスコミなどで、世論で騒がれた事件については、ぶれる判決がだされます。


 裁判員制度についても同じような懸念はあるだろうと思います。


 しかし、現在のように、司法と国民感情の差を煽られる現状をみると、やはり、一度、国民参加を促さざるえないのではないかと考えます。


 そして、司法を国民に近い姿にする必要があるのではないかと考えます。


 その中での発生する労力については、やはり、国民の義務として必要なのではないでしょうか。


 そこで、改めて、不要論や、別の方法を発議するきっかけになることは、日本国民全体の利益にかなうものと考えます。