麻生総理の演説で、「明るく強い日本」というフレーズに「明るい」は必要なのだろうか。
「明るい」とは、何をさすのか。
どうして「明るい」を入れざる得ないのか。
今回、この点を考えてみたい。
麻生総理は、そもそも、「強い日本」「誇りのある日本」を主張したいのだろうと思う。
演説の内容からして、いかに日本が明治維新という歴史上珍しい革命を若き志士たちが起こし、また、敗戦の荒廃から、戦勝国以上の復興を遂げた軌跡と奇蹟をたたえている。
もちろん、総理の祖父である吉田茂の功績を遠巻きにたたえているということもいえるが、それ以上にどんな逆境に耐え、克服してきた日本という国のすばらしさをたたえているのだろう。
それにもかかわらず、「明るい」という小学校並のお題目を入れざる得ないのはなぜか。
筆者は、この小学生のような「明るい」という言葉を入れざる得ないのは、未だ自虐史観にとらわれた日本人対策であり、全く、歴史を知らず、なかが洗脳された自虐史観家及びそれを利用する魔手に対する対策である。
日本の総理の発言について、いつになればこの「明るい」という言葉に似た表現がとれることになるのだろう。
この「明るい」という表現が総理の発言からなくなったときこそ、本当の「戦後は終わった」と言えるのではないか。
戦後レジュームを破壊し、「強い日本」を取り戻したいものである。