んにちは、すぎやまです、

「お金を貸してくれ」

を言われた事がありますか?

僕は何度かあります。

大きな声で言える事ではありませんが
過去に数十万円を数人に貸して
まだ返って来ていません。

恐らく永遠に返って来ないと思います。

音信不通になった人が殆どです。

お金を貸した人たちの中には
凄く仲の良かった友人もいます。

最初の頃は凄くショックでした。

「相手のためを想ってやったのに...」

そして段々と怒りに変わり

「どんな手段を使っても回収してやる!」

と思い始めました。

しかし今では回収する気も、僕から
連絡する気もありません。

すべて「自分が悪い」と考えられるように
なりました。

僕は借金まみれから今の小さな成功を
手に入れました。


コネも人脈もスキルも無くすべて
マイナスからのスタートでした。

だからお金に困っている人の気持ちが
良く解りますし「お金貸して」と
言われるとどうしても渡したくなります。

しかし、

人にお金を貸すのはもう辞めました。

僕がお金を貸した人で幸せになった人を
1人も見た事がないからです。

仏教にこんな言葉があります。

”『小善』は『大悪』に似たり

『大善』は『非道』に似たり”


要は

小さな良い事は、大きな悪に似ていて
大きな良い事は、酷い仕打ちに見える


という意味です。

例えば、お金をかすという行為は
本当に相手のためになるでしょうか?

資産はその人の過去を表す1つの数値であり
その人物の器でもあります。

借金とは器よりも大きいものを
中に無理矢理いれるようなものです。

器よりも大きいものを無理矢理
入れると器が壊れます。

借金をするという事は、理由は何であれ
己の器以上の事をしているという事です。

だから僕は家であっても車であっても
必ず現金で買います。

クレジットカードはよく使いますが
それはあくまでも銀行にすぐに支払える
残高があるからです。

他人にお金を貸す、という行為は
『小善』だと思います。


結局、相手を駄目にしているのです。

本当に心から相手の事を考えているなら
ビジネスのアイデアを一緒に考えるとか
相手の器を大きく手伝いをしたりとか。

これこそが本物の『大善』だと思います。

小さな善は、大きな悪と似ています。

しかし「お金を貸して」と友人に言われて
「NO」をいうのは苦しいですし難しいです。

相手から「鬼、悪魔、非道」と言われるかも
しれません。

しかし、長期的に相手の事を考えたら
お金は貸すべきではないと思っています。

大善は非道に似ています。

瞬間的には相手から嫌われる
可能性もあります。

しかし本当に相手の事を考えるなら
例えその瞬間は「非道」と呼ばれても
大善を貫くべきだと思います。

今回はお金を例に挙げましたが

『小善は大悪に似たり
大善は非道に似たり』


誰かに何かをお願いされた時、
ぜひこの言葉を思い出してみてください。



追伸:
以下自分自身が「お金を貸して」

とお願いする事が無いように
するための方法です。

『僕の最後の決断です。次は僕が先生になりたい』