「心あるものをして力あらしめよ。力あるものをして心あらしめよ。」
これは私が高校生の頃、恩師に教わった言葉だ。
力を得るにはそれ相応の努力がいる。大きな力を持つ為の過程で経験する苦労は、大変な物であるはず。
転職による収入/やりがいアップだろうと出世だろうと、何らかの力が認められなければ果たせない。自分なりの武器を手に入れ、そしてありたい姿に向かって労力や時間を費やすのは当たり前の事。
ただ力を得たその先で、権力なるものを握ってしまった場合、本当の自分の力が何であるのかが分からなくなってしまう事も良くある。その本人は自分が裸の王様である事に気づくはずもない。力を得るまでに払ってきた努力、苦労が大きなものであることには変わりがないからだ。人の痛みに鈍感になってしまう事もしばしばだ。そして自分自身を正当化する事に何ら矛盾を感じない。仮に感じたとしても、それを認める事はもうできない、そんな「偉い人」が多いのではないかと思う。
そういう人が上司だったり、ましてやその上司が経営者だったりした場合、部下や従業員はとても苦しむ事になる。
傲慢にしか見えない上司に羽をもがれた上に、どことも知れない場所で突き落とされるかのような仕事を強いられる人は大勢いる。
分かれ道はここからなのかも知れない。体や心が壊れてしまう程の危機を感じるのなら、休職や転職という道もある。但し、転んでもただでは転ばない、転びっぱなしにはならないぞ、という決意、そしてそれなりの努力なり工夫もやがて必要となる。
もがき苦しんだ末、新たな力を得た時こそ、本当の勝負が始まるのではないだろうか。そして本当は自分が何がしたかったのか、何のために働いているのかも、よりはっきりとわかるのではないだろうか。
「心あるものをして力あらしめよ。力あるものをして心あらしめよ。」これは誰かに説教するための言葉ではなく、自分自身にこそ向ける言葉なのではないだろうか。