ラジオ聞いたフレーズの一つが、なんとなく耳に残った。
たぶん、こんな内容だった。
「現代人は自分とは何かというアイデンティティーを求めることが多いが、そんなものはなく、求めれば求めるほど、自分が崩壊していくものなのだ。」
…このような内容だったように思う。なぜ、このフレーズがどんな話しの流れかもよく覚えていないのに頭に引っ掛かっているか…。
職場では、利用される方に、リハビリテーションの「目標」というものを尋ねることが多い。しかし、「自分がどうなりたいか」、というものについて、明確に答えられる人は少ないと思う。
結局、自分がどうなりたいか、ということは自分だけでなく、周りの人々との関わりが関係しているように感じる。
私のような職員は‘この’利用者さんをどうしたいか、ということを考えれば考えるほど、本当にこの人はどうしたいかが、分からなくなってしまうことが多い。
むしろ、一歩引いて、その人の周りを見ると、以外と目標を見つけることができることがある。人は社会との関係の中で自己を認識できるのかなあ、ということを改めて認識する。
病院のリハビリと違い、「生活期」のリハビリでは、周りの人との関係なしには、とても考えにくいように感じる。冒頭のラジオの言葉のように崩壊までいかないにしても、自分のことをとにかく考えると老化によって、自分の身体は衰え、辛いし、痛いところも出てくる。だから、厳密に自分のことだけ考えていると、このような身体で生きていくのは、辛いとなってしまう。
セラピストとして、どうやってその人の周りの関係に気付かせてあげることができるかが大切で難しく感じる。
H
たぶん、こんな内容だった。
「現代人は自分とは何かというアイデンティティーを求めることが多いが、そんなものはなく、求めれば求めるほど、自分が崩壊していくものなのだ。」
…このような内容だったように思う。なぜ、このフレーズがどんな話しの流れかもよく覚えていないのに頭に引っ掛かっているか…。
職場では、利用される方に、リハビリテーションの「目標」というものを尋ねることが多い。しかし、「自分がどうなりたいか」、というものについて、明確に答えられる人は少ないと思う。
結局、自分がどうなりたいか、ということは自分だけでなく、周りの人々との関わりが関係しているように感じる。
私のような職員は‘この’利用者さんをどうしたいか、ということを考えれば考えるほど、本当にこの人はどうしたいかが、分からなくなってしまうことが多い。
むしろ、一歩引いて、その人の周りを見ると、以外と目標を見つけることができることがある。人は社会との関係の中で自己を認識できるのかなあ、ということを改めて認識する。
病院のリハビリと違い、「生活期」のリハビリでは、周りの人との関係なしには、とても考えにくいように感じる。冒頭のラジオの言葉のように崩壊までいかないにしても、自分のことをとにかく考えると老化によって、自分の身体は衰え、辛いし、痛いところも出てくる。だから、厳密に自分のことだけ考えていると、このような身体で生きていくのは、辛いとなってしまう。
セラピストとして、どうやってその人の周りの関係に気付かせてあげることができるかが大切で難しく感じる。
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