ラジオ聞いたフレーズの一つが、なんとなく耳に残った。

たぶん、こんな内容だった。
「現代人は自分とは何かというアイデンティティーを求めることが多いが、そんなものはなく、求めれば求めるほど、自分が崩壊していくものなのだ。」

…このような内容だったように思う。なぜ、このフレーズがどんな話しの流れかもよく覚えていないのに頭に引っ掛かっているか…。

職場では、利用される方に、リハビリテーションの「目標」というものを尋ねることが多い。しかし、「自分がどうなりたいか」、というものについて、明確に答えられる人は少ないと思う。

結局、自分がどうなりたいか、ということは自分だけでなく、周りの人々との関わりが関係しているように感じる。

私のような職員は‘この’利用者さんをどうしたいか、ということを考えれば考えるほど、本当にこの人はどうしたいかが、分からなくなってしまうことが多い。

むしろ、一歩引いて、その人の周りを見ると、以外と目標を見つけることができることがある。人は社会との関係の中で自己を認識できるのかなあ、ということを改めて認識する。

病院のリハビリと違い、「生活期」のリハビリでは、周りの人との関係なしには、とても考えにくいように感じる。冒頭のラジオの言葉のように崩壊までいかないにしても、自分のことをとにかく考えると老化によって、自分の身体は衰え、辛いし、痛いところも出てくる。だから、厳密に自分のことだけ考えていると、このような身体で生きていくのは、辛いとなってしまう。

セラピストとして、どうやってその人の周りの関係に気付かせてあげることができるかが大切で難しく感じる。


江戸中期、米沢藩で改革を行った、上杉鷹山の本を読んだ。以前から気になっていたのだが、やっと読むことができた(堂門冬二『上杉鷹山の経営学』)。

財政難で閉塞感に満たされた、現在の日本のような状況から、見事に藩を立て直したということから、私達は多くのことを学ぶことができるのではないか考えた。


特に心に響いたのは、鷹山が女性や老人や病人、障がい者といった社会的に弱い立場の人への福祉に力を入れたとともに、そのような立場の人にも、社会の中で役割を与えるために、鯉の養殖や蚕業といった仕事を用意したという部分である。

社会的に弱い立場の人でも、適切な支援と、適切な環境設定があれば、「保護される立場」から、「社会に貢献できる立場」へと変えていくことができる。

社会的に高い身分とされていた武士であれ、そのために協力し、限られた労働力から、新しい付加価値を作っていく。そこから生まれた利益は、弱い立場の人から還元していく。

そして、このような改革によって、どんな子どもであっても安心して育てられる環境が整い、当時の米沢藩も直面していた少子化も克服していった。


このような鷹山の改革は、まさにリハビリテーションの理念に対して相通じるもののように感じた。特に「生活期」のリハビリテーションでは、このような「安心感」と「役割」を与えることが大事であると考える。

欧米だけでなく、日本にもリハビリテーションの理念があることに感動したと共に、まだまだ歴史から学ぶことがたくさんあることを実感した。



理学療法士のあり方について、今、大きく動いている時期です。

認定理学療法士や専門理学療法士の制度が変更され、制度が進んでいると聞きます。

私はまだまだ経験も浅く、今の制度について理解も浅いので、こんなに他人事でいいのかな?ってたまに思います。

私達若く、人数の増えてくる世代が、中堅となるころに向けての理学療法を取り巻くいろんな制度の変化ということです。

しかし、当の自分がこんなに何も知らないことで良いのか?と、不安に感じることがあります。職場の人数も少ないので、情報も限られています。

今の新しい制度を作って下さっているのは、経験豊富な大先輩の先生方ではないかと思います(それすら把握できていません)。

しかし、もっと私達若手の理学療法士も、これからの当事者として、これからの制度を一緒に考える(知り、学んでいく)場があっても良いのではないかと思います。

これからの制度の変化はこれから、経験を積まなければならない私達の将来の研修制度や育成制度に関係してくると思います。

ただ、協会から送られている情報を待っているだけでいいのでしょうか。

私の考えに共感できる方はぜひ、一緒に考えていけたらと思います。また、いろんな情報交換をできたらと思います。