ここ数日、中東の民主化ニュースが流れない日はありません。
日本の常識とは異なる、法律も選挙もない国があることにびっくりしたのとともに、そんな国も大きく強い時代の流れによって、あっけなく変わって行くことへ驚きも同時に感じています。
毎日を生活していると変化はないようですが、今後、今の常識が何十年経った時には変わっていることは間違いのないことのように感じています。非現実的なようで現実的な、複雑な感覚を持ちます。
さて、理学療法士の立場から見て、世界のこれからの大きな変化と言えば、やはり、「高齢化」ではないかと思います。
今後、いろいろな個性を持った高齢者の方々はどのように生活しているのでしょうか?
今のような日本の高齢者事業のままでは、不満を持ってしまう方も少なくないのでは…、と、日々現場と向かい合う中で感じてしまいます。
高齢の方々が自ら立ち上がり、政府や国に権利を主張する時代が来てもおかしくないのでは?また、そうして、いろんな「生きにくさ」を感じる人が、もっと堂々と意見を言えるような、そんな時代が来るのではないか、いや、来てほしい。と、思います(もちろん、強硬な方法でなく、平和な方法です)。
これからの世界の高齢化の時代をリードするのは、良くも悪くも日本であることは間違いありません。今のチュニジアのデモを発端とした中東のニュースのように、これから何十年先の時代では、日本から世界に「何か」が発信されていくのではないか。
では、果たして、それは「何」なのだろうか?その時、理学療法士の私は、どのような立場で、何を感じているのだろうか?
皆さんはどう思いますか?遠い海の向こうのニュースを見ながら、私はこんな疑問を感じました。皆さんのお考えもお聞きできればと思います。
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日本の常識とは異なる、法律も選挙もない国があることにびっくりしたのとともに、そんな国も大きく強い時代の流れによって、あっけなく変わって行くことへ驚きも同時に感じています。
毎日を生活していると変化はないようですが、今後、今の常識が何十年経った時には変わっていることは間違いのないことのように感じています。非現実的なようで現実的な、複雑な感覚を持ちます。
さて、理学療法士の立場から見て、世界のこれからの大きな変化と言えば、やはり、「高齢化」ではないかと思います。
今後、いろいろな個性を持った高齢者の方々はどのように生活しているのでしょうか?
今のような日本の高齢者事業のままでは、不満を持ってしまう方も少なくないのでは…、と、日々現場と向かい合う中で感じてしまいます。
高齢の方々が自ら立ち上がり、政府や国に権利を主張する時代が来てもおかしくないのでは?また、そうして、いろんな「生きにくさ」を感じる人が、もっと堂々と意見を言えるような、そんな時代が来るのではないか、いや、来てほしい。と、思います(もちろん、強硬な方法でなく、平和な方法です)。
これからの世界の高齢化の時代をリードするのは、良くも悪くも日本であることは間違いありません。今のチュニジアのデモを発端とした中東のニュースのように、これから何十年先の時代では、日本から世界に「何か」が発信されていくのではないか。
では、果たして、それは「何」なのだろうか?その時、理学療法士の私は、どのような立場で、何を感じているのだろうか?
皆さんはどう思いますか?遠い海の向こうのニュースを見ながら、私はこんな疑問を感じました。皆さんのお考えもお聞きできればと思います。
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