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Presents

私たちが生きる中で、たくさん貰っている愛情。それはまるでプレゼント(Presents)のようです。読者のみなさまの心にそっと残るPresentsを贈ることができるよう、言葉を選びながら日々の体験を記述していく、25歳大学院生のブログです。

(続き)
その凍りが突然溶けるような気がしたのです。
そのきっかけが以下の小町のトピ。発言小町には本当に学ぶことが多いです。
リンク先:トピ

私は愛の意味を取り戻したように思います。
どんな状況になっても裏切らない。
それは愛から生まれる一つの側面でしかないことを思い知らされました。

このトピの旦那さんの行動は痛いほどわかります。
自分の死が妻の幸せを奪うのならば、離婚という苦渋の決断を強いてまでも妻の幸せを願う。
こんな自己犠牲の精神は、妻を愛するが故生まれる。
このプチ体験はしたことがあるのでわかります。

しかし、これに対する妻の言動。
旦那さんが悩み始めたことを察知してからの妻の言動の全て。
それが愛に満ちあふれており、胸が痛んで涙が止まりませんでした。
これが愛なんだと少しだけ理解できました。

確かに私は、元カノを愛していました。
それは自己犠牲を伴う愛だとも思います。
もちろん、常日頃の行動や私の人格が愛を育めなかったのだとは思うのですが、
やはり私は彼女に愛されていなかったんだと思いました。
両親の言う通りでした。
たとえ結婚したとしても、私たちの愛は未完成だったろうと思います。


私の両親は愛し合っているように思います。
そんな家庭に生まれた私は幸せ者で、実家に帰る度それを実感して嬉しく思います。
人を愛するにはもっと成長しなければいけないのかもしれません。
いやこれから先もずっと成長していくことが人を愛する条件なのだろうと思います。
そして愛は育むものだと思います。
自分が愛せる相手、そして相手も愛してくれる人。
お互いが愛するからこそ少しずつ愛が育まれるんだろうとも思います。

私は良いのか悪いのかわかりませんが、現在彼女はいません。
だからこそ、次に付き合う人とはしっかり向き合い、愛を育みたいと願っています。
しかしそれは、失うことの恐怖心から芽生えるものではないのだと今日思い出しました。
そうではなく、もっと素直でポジティブなものなんだと思います
愛おしいから愛する。そんなイメージでしょうか?
きっと私にも運命の相手がいて、その女性もそう思ってくれるのであれば、お互いを大事にし合いながら愛を育みたいと思います。

少し恋愛に臆病になっていた私ですが、もっと素直な気持ちでいればいいんだと肩の力が抜けました。
1年弱止まったままだった心の振り子が動き出したように思うんです。
そしてここで紹介したトピの夫婦のような関係を築きあげ、死ぬ時には愛を知って死にたいと思いました。

私の好きな曲の一つに、桑田佳裕さんの「愛しい人へ捧ぐ歌」というのがあります。
こんなことを思って晩年を迎えたい。
そう願うばかりです。
Youtube
歌詞
恥ずかしくて暗い話をさせて下さい。
病んでいるわけではありません。むしろ深い悩みから解放されたようなのです。
「愛」とはなんだろう。そんな話です。

私は昔、愛や結婚というものを純粋に捉えておりました。
少なくとも1年前。1年前までは寸分の疑いもありませんでした。
自分よりも相手の幸せをいつも想い生きること。
それが愛だと思うし、そう思って生きていれば相手へ愛が届くものに思えていました。
それを続けることが結婚であり、そんな夫婦になりたいと思っていました。

そう思い、少なくとも私は愛していた彼女に、昨年の10月振られました。
大学1年の夏から4年と2ヶ月お付き合いさせていただきました。
私が卒業すると同時、つまり来年の3月には籍を入れようね。
ずっとそう言っておりましたし、そんな未来が来ることに疑う余地はありませんでした。

昨年の夏。私は自分の目標を実現するため、そして自分自身をより高めるために海外へ行きました。
インドに6週間。アメリカに3週間です。
その目標は大学1年生に入る時に立てたもの。
彼女も応援してくれていました。

しかしインドに行く前から、私には一つ悩みがありました。
大学院の次に博士課程(ドクター)に進みたいという夢でした。
すると2-3年間結婚が伸びてしまうかもしれない。
インドに行く前から、私は自分の夢と彼女との結婚。
いかにして折り合いを付けていくか必死で考え、ファイナンシャルプランニング(生涯における貯蓄変動の計算)までしていました。
社会人になってからの給料、支出入、家に入れるお金、貯金額。
至る所まで計算しておりました。
そうしながら、自分はドクターに進むかどうか、どう折り合いを付けていこうか悩みに悩んで、その答えを見つけるためにもインドとアメリカに行きました。

インドでは満天の星空の下で思いました。
中学生の時から思ってきたこと。
十数年の想いを蘇らせ、研究者を志したことを思い出しました。
ドクターコースに進みたい。そう決意したのでありました。
ここまで決意したのだから、こんなに悩んで出した結論なのだから、
長年寄り添った彼女もわかってくれるだろう。
そう思い、インドから帰って彼女に会い、私の考えを伝えたのを思い出します。
そして私はアメリカに発ちました。

アメリカでも素晴らしい光景を目の当たりにしました。
一生懸命努力する優秀な同級生たちの姿に驚きました。
ホームステイでお邪魔させていただいたご家庭に、一生懸命私の夢を応援していただきました。
今思い出しても本当に有り難いです。

そんな時でした。
彼女からLINEでこんなことを言われました。


「私か進学か、どちらかを選んで下さい」


戸惑いました。
そんなの選べる訳がない。
この両者を両立するためにたくさん悩んできました。


「そんなの選べないから、返事はできない。待って下さい」


そう返事をしたように思います。
その直後、彼女は職場の男性と付き合うことになりました。
(早いものでもう婚約は済ませたようです。おめでたいことです)
その直後から、私の心の振り子が完全に止まってしまいました。



この話をすると、
「今のうちに別れ両親は「愛されてなかったんだね」と言いました。
教授はていて良かったね」と言いました。
どちらの言葉にも救われたのですが、
この日から「愛とは何か?」という疑問で胸がいっぱいになり、
私のすべてをがんじがらめにしていたように思います。

実際、(情けないことに)仕事のパフォーマンスはがた落ち、人を少し疑ってしまうようになりました。

この事件以来、
「どんな状況であっても裏切らない女性と結婚しよう」
そのことだけを考え、女性を見るようになりました。
(そう思える女性はごくごく少ないですが存在することを知り、私の未練がなくなりました)

しかし同時に、「愛とはどんなことがあっても裏切らず寄り添うことだ」というように考えるようになったまま、私の心は凍り付いておりました。
たまたま以下の質問を見つけ、ベストアンサーになっているNo8の方の文章に驚いてしまいました。
リンク先

とても優しい文章だなと思いました。
相談に乗るのって、
失敗した行動力を褒める→褒める→相手の気持ちを表現する→言いたいことは疑問形で伝える
こういう形で、共感から始まり、後押しをしてやることが大事なんだと思いました。

その練習がてらというと言い方があれですが、
「からす」という名前で早速以下の二つの質問に回答してみました。
回答1
回答2


こういう文章がサラっとかける人って、たまーにいるんですよね。
年上の女性に多いんですが。と言っても2人しか知りませんが。
一人は秘密ですが、もう一人は研究室の秘書さん。
私が就職決まった時にわざわざメールをくれたんですが、
「就職おめでとうございます。ホッとしましたね。」
ってメールくれたんです。これが本当に嬉しかった。
人の気持ちを代弁できる能力って、凄いですよねー


昔から思うことなんですが、
勉強であれ人間性であれ、
できる人から学ぶことでしかそういう能力ってアップしない
と思うんですよね。
自分が少しでも優しい人間になるために、少しでも素敵な人と知り合い学ばせていただきたいな。
そう思ったのでした。
昨晩は研究室メンバーでBBQをしました。
教授まで来てくれて楽しかったです。
カツオのたたきを焼いても食べました。うまうまー

俺は教授(52)が大好きなんですが!!
というのも、研究の話だけじゃなくて、仕事の相談も恋愛のアドバイスもくれるし、
そして何より生き方の師匠だからです。

昨日も、20代には結婚したいんですよねーって言ったら、
来年度から早速婚活しなさいって言われた(笑)
ああぁぁ、好きな女性はいるんだけどなー
フラれても心のどこかで諦めきれていなくて先に進めないバカな男なのでした。

早く次の恋を見つけなければ!


今日は准教授の家でホームパーティです。
世界のビールを揃えてくれているらしいので楽しみ!!
タイ人の留学生連れて行ってきます。
そんな言葉を教えていただきました。
とても美しい言葉を使った、心にスッと染み込む表現です。
このフレーズはキリスト教の教えからきているそうです。

私は特定の宗教を信仰しておりませんし、今後も暫くはそのつもりはありません。
しかし、知らず知らず生きている間に、この言葉と同じことを信じていたように思います。

「置かれた場所で咲く」
このフレーズからは3つのキーワードが伝わってきます。


1.自責
「置かれた場所で咲く」
不平不満を決して環境のせいにするわけではなくて、
今の状況・我が人生を肯定的に受け止め
その中で幸せを見つけるということだと思います。

劣悪な環境ですら受け止める。他人の責任にはしない。
他責する大人はいつまでも子供、自責できる子供はもう大人。
そんな言葉を思い出しました。


2.前向き
「置かれた場所で咲く」
"咲く"というポジティブな単語で締めくくられており、それを示唆しているフレーズです。
諦めの境地に甘んじることなく、自信の花を咲かせる。
自分の個性を輝かせる。
世界の風景を少しでも明るくさせる。
そんな前向きな姿勢を大切にしなさいと教えられるようです。


3.強さ
「置かれた場所で咲く」
このフレーズを、何の不自由も感じたことがない人の心に響くはずがありません。
寧ろ、このフレーズが意味する生き方を選ばなければ、すべてが崩れ落ちそうな。
そんな辛い経験をした人、辛い立場にある人が大切にするフレーズだと思います。

このフレーズを受け入れる。
受け入れた時点から、もうその人は置かれたところで咲いているんだと私は思います。
そこからイメージされるのは強さです。
見せかけの強さではない。
心の地盤がしっかりとした強い人が連想されます。



「置かれた場所で咲く」
この言葉から、自責・前向き・強さが伝わってきます。
そして、このフレーズから連想されるもの。
それは、人生に凛と立ち向かい誇らしげに咲いている花でした。




素敵な言葉を教えていただきました。
私は恥ずかしながら、とても幸福な人生を歩ませていただいております。
温かい家庭に生まれ育ち、友人や先生にも恵まれ続けています。
少し辛い想いもしましたが、本当の試練はこれからたくさん降りかかってくるのだと、何となく予想しています。
そんな時、この言葉を思い出して、誇りをもって凛と人生に立ち向かいたい。
そう誓って、終わりにします。