昭和60年、私は鳴門高校に転勤となり、音楽部の顧問となりました。


音楽部とは、のちの合唱部です。


ブラスバンド部 ( のちの吹奏楽部 ) は私でなく、岩朝美晴先生が顧問をしていました。


吹奏楽コンクールの前、私は岩朝先生から練習を見に来てくれるよう何度も頼まれましたが固辞していました。


少しでも関わりを持つと、果てしなく泥沼にはまるような気がしたからです。


翌昭和61年、私は特活課長に拝み倒されてブラスバンド部も引き受けました。


そうして、泥沼にはまっていくのです。