11月29日BShiで放送の「名曲探偵アマデウス」では、

ベートーベンの「クロイツェル・ソナタ」を取り上げていました。


名曲と言われるこの曲、私は嫌いでした。

暗いし、美しいメロディでもない。


トルストイはこの曲に触発された小説「クロイツェル・ソナタ」を発表しています。

ある侯爵が、妻の不倫を疑い、嫉妬の末殺害してしまうというものです。


こんなイメージの良くない「クロイツェル・ソナタ」よりも、

同じベートーベンのヴァイオリン・ソナタなら、第5番の

「スプリング・ソナタ」のほうが、私はずっと好きでした。


この「クロイツェル・ソナタ」は、

第1主題の冒頭、ミファという「半音動機」で始まります。

半音という不協和の音の不安定さは、渇望感、焦燥感を表します。


そして、ヴァイオリンと、本来は伴奏であるピアノが一歩も譲らない、激しいせめぎ合いを見せます。


ある時は協調し、ある時は対決しあいながらも、音楽としてのまとまりは崩れません。

それは、左手が主音と属音の持続音を弾きつづけ、音楽をまとめる命綱となっているからです。



こうしてみてみると、「クロイツェル・ソナタ」って、人間関係に似ていませんか?


私はこれまで、「スプリング・ソナタ」のような、きれいなメロディを歌う人間関係だけを求めてきました。

「クロイツェル・ソナタ」のような、激しく主張したり、裏切ったりの世界は避けてきました。


でも、「厳しい緊張の上にまとまる人間関係」って、大切なことなのかも? と、

この「クロイツェル・ソナタ」を分析してから、思うようになりました。