今、葬儀場にいます。
ここに書くことは、あくまで音楽家としての私見を述べています。
今日の葬儀についてどうこう言うものでないことを明記しておきます。
昨日のブログで、創価学会のハモリについて書きました。
聞くところによるとみんなで唱和することに意義があるようで、これはキリスト教の賛美歌に通じるものがあると思います。
今、隣のコーナーでは、真言宗による葬儀が行われています。
こちらは坊さんの独唱です。
それが、メロディーがあるのです。
創価学会の場合は、同音連続による合唱でした。
私自身の葬儀についていろいろ考えてみました。
私は無宗教者です。
坊さんの読経が雑音に聞こえるのです。
私自身の時にはフォーレのレクイエムで送って欲しいです。
そして私自身の演奏による{千の風になって}を流してほしいです。
これが遺言です。
しかし、亡骸を入れたお棺が閉じられ、親族が泣き伏すのを目の当たりにすると、
「生きるとは」「人間とは」と言った課題が切実に胸に迫ってきます。
これぞ、芸術の本質的命題です。
こういった経験もまた、心豊かな人を作るのに必要なセレモニーなんですね。