6日15:16
「感動する脳」ようやく読み終わりました。
忙しかったせいで、こんなにも時間がかかってしまった。
それから、同時に読み進めていた「ひらめき脳」
、これまた茂木健一郎さんの本も少しまとめていきたい。
だが、なるべく同じ人物の本を読むのは私は好きではない。
なぜなら、その人の世界観が自分の中にも形成されてしまいそうだからである。なるべく、違う人の本をよみ、あらゆる考え方を学んでいきたいと思う。
6日17:32
今の内容を見たとき、二つ疑問があがったはずだ。
一つは、「ん?この内容的にテーマはbookじゃないの?」とう疑問。
実は、書いていくうちい私のかんがえることでいっぱいになったのでテーマをジャーナルにした。
だから、どのへんで私の考えに移行していくか推測してみるのもおもしろいと思う。
2つ目は、時間の記入に対する疑問である。
なぜ、私のブログに時間が書かれているのか。
実は私は、このブログをとても時間をかけて書いている。だから、書いている途中で考えが変わったり、ひらめいたり、してせっかく書いたものを消したり、つけ足したりしていた。
でも実際い読んでる皆さんにも、私がどのような時間系列の文章校正をおこなっているのか、体験してもらうために「時間」を記載している。
6日17:36
たぶん、おもしろいと思う。文章をたてに読んでいくだくだけでは、矛盾してることが多いが、時間系列に見ていけば、なぜ私がこの時このような事を書いたのか、想像できる。そのひらめき体感を皆さんにもしてほしい。
6日17:37
やっぱり私は考えた。
これをジャーナルではなく。プロローグにすべきだと思った。
なぜなら、初めて私のブログを見た人はわけがわからない。
だから、テーマのプロローグは「私のブログが変化」するときに載せていきたいと思う。
7日3:40
あっ、デザインを変えてみた。
いつも同じやったらつまらへんやん![]()
あと、がんばって今から読んでいってくださいとしか言うことはございません。
たぶん、時間がをかけて何度もよんください。(実際この文の日時がおかしいよね。笑)
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6日15:30←(この日時は6日17:31の時にだいたい逆算して書いた)
さて、第5・6章は「ネガティブ」がメインテーマだった。
・脳は鍛えれば鍛えるほど、発達していく。それが、どんな方向であっても。
普段、マイナス思考におちいりやすい人は何故おといりやすいのであろうか、
それは、「マイナスの思考」という思考回路を脳の中で鍛えて、マイナスに陥りやすい脳にしてしまってしるからなのだ。
・脳にはスイッチらしきものがある。
マイナス思考になるときは脳にある「スイッチ」がパチっと切り替わったように、マイナス思考が始まる。
それは、スパイラルのようにどんどん落ちていく可能性がある。
普段マイナス思考の回路を鍛えてる人は、その落ちていく速さも、一般人よりも早い。
・ポジティブ
ポジティブな人はマイナススパイラルから抜け出しやすい。普段から、そういう脳の鍛え方をしているから。
もしくは、脳のスイッチを切り替えやすい脳の鍛え方をしている。頭をすぐに切り替えるのだ。
・若返りはポジティブ脳と感動精神
普段、ポジティブな人は生き生きしている。なぜなら、老けていく自分を見ても決してマイナスにとらえない。
そしてそれが、必然的に表情を豊かにし(表情筋を衰えさせないことでしわも減る)、何にでも「とりあえずやってみよう」する精神を生み出す。
よく感動する人は人生が楽しい。長年くらしていても、知らないことなど無数にある、それをうまくつけていくこtが大切。脳は年老いても発達し続ける、挑戦することをやめてはいけない、諦めは、終わりの始まりである。
・マイナスの和らげ方
安全地帯をつくる。いつでも自分を受け入れてくれる人、相談できる人を複数作っておく。
小さな欠点にいちいち目をやらない。人は誰しも欠点がある。それをいちいち気にしてるのは時間の無駄だ。
とにかく外に出てみる。人となにかしら話したり、出歩くことで、人がいかに小さなことで悩んでいたかを認識することができる。
・感動する脳の作り方
とにかく、頭と心に空白部分をつくる。もっと視野を広げて。いかに自分が今、ちいさな考え方、生き方をしているか気づかなければならない。たとえ、経験をつんだという自信があっても、完全に知るということは不可能なのだ。
「そんなことわかってる」というようなしったかぶりが、いちばん感動脳を阻害する一つの原因だ。
「そんなことしておもいろい?」という問いは、自分の知らないことを知るという作業を「めんどくさい」ものとして判断している。「どーせ何の役にもたたない」というように思い込んでいるからだ。
しかし、「ひらめき・発想・創造、感動を生む」ためには、そのような自分の知らない世界を探り、まなんでいくことが、一番大切なのだ。
しかし、これは外部的な認識の確認、つまり「知らないことを学んでいくことは大切だ」ということを自分に言い聞かせることによって、いわば強制をかけているともいえる。
これでは何の意味もない。
いつかは、めんどくさくなる。
肝心なことは、「自分で気づく」ことなのだ。それに気づいた時、「ひらめき」ともいえる感動にみまわれる。
いかに自分が小さいか、いかに視野が狭かったか、
人は気付かなければならない。感動する脳の作り方マニュアルなど存在しない。
そして、当り前のことにも疑問を持てるようになる力をつけなければならない。
かつての天才たちもそうっだったように。当り前という概念自体不思議なのである。
なにが当たり前なのか?
それは、自分で作った世界が頭の中に存在するからだ。
「空は青い、それは青いから青いのだ」
ということを自分の頭の中で形成する。そして、それが当り前という概念だ。
小さな当り前一つでも、それは脳を固定化してしまう、それ以上の思考を必要とさせないために。
小さな当り前がつみかさなり、世の中でよくいわれる「頭の固い人間」というものが形成されるのだ。
・子供と大人の境目とは、そういうことに自分の中で気がついた時が境界線なのかもしれない。
自分の世界感を歳を重ねるごとに作っていく、そしてそれが「当り前」というものに変わっていく。
そうすると、「威張り」というものが生れる。「よく世間で言われる大人」が威張るのはそのせいだと思う。
だから、「世間で言われる大人」というものは実は子供なのだ。
「大人」とは「無知の知」をわかっている人なのだ。
それは、どんな人(小さな子供、後輩、友達)に対しても、学ぶ姿勢を忘れないで、つねに「自分の知らない世界を知っているんじゃないか?」というような気を張っている人間。
全く同じ人など存在しない。
つまり、他人であれば何かしら自分の知らないことを知っている。
「このガキが生意気に」と言う人は、自分がガキであることに気付かなければならない。
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(訂正する。私がいう大人という存在はいくら無知の知をわかっていても実は存在しない)←この訂正文章だけはは7日2:08
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しかし、「威張り」には「良い威張り」と「悪い威張り」があることも忘れてはいけない。
なぜかというと、私はこのブログで威張り倒してるからだ。「~だ。~であるのだ。~しなければいけない。」というふうに、明らか威張ってるということは、つまり私が「言いたいこと」と「書いてる」ことが矛盾してるのだ。
なぜその矛盾が生じるのか、説明したい。
以下、
「世間で言われる子供」 → A
「世間で言われる大人」 → B
「子供」 → C
「大人」 → D
とする。
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余談だが、
私の高校はバカ校だった。だから、数学は数1、数A、数2しかやってないし、大学でも文系だ。
それで、バカ校の中でも最低学力レベルだった私も、数学だけ校内トップだった(笑)
矛盾している…。
!
!これを上の矛盾の説明にしたいわけではないよー!笑
私がこの4行の余談で「何が言いたい」かは、想像にまかせます。
・・・・・・
・・・・・・「言語は数学」である。
この意味は難解であると思う。
例えば、これから私は、子供とか大人という言葉を使って私は、「矛盾ではない」ということを証明をしようとしてるのも、何かしら数学ちっくな感じがしないだろうか。
!(何かにひらめいてしばし考えた)
6日17:30(15:30からここまではいっきに書いた。2時間もかかってるのだ。笑 それだけいろいろ頭をめぐらしながら書いている)←ちなみにこの()内の部分は17:47に記載した。
やっぱりこの説明はとても長くなると思ったので、後日にしたい。
余談はこれまで
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6日17:48
(さて、いろいろあちこちいろんな方向へ考えが飛び交いし、ようやくいまからブログの続きを書こうとしている。
みなさんに気をつけてもらいたいのは、このブログを読むときに、流し読みはやめたほうがよいという事だ。なぜなら、・・・・・・・・・・・←これ、時々出てくる記号であるが、私はみなさんの頭を切り替えてほしいがために、この記号を書いている。その意味は、一見すれば普通の文章だ、しかし、しっかり考えながら読めばいろんなことに気づく。
たとえば、「本の内容を要約してる文章」・「私がその本に対して思ったことを記した文章」「その本になぞらえて過去のことを回想し説明してる文章」・「私がその本に対して思ったことを記した文章のなかで、わかりずらい表現をした時に、その表現を説明してる文章」
など、さまざまな視点があげられる。
文章を理解するこつは、筆者の立場にたって読み進める方法が一番よい。だが今言った例だけでは、理解しがたいことが発生する。
それが時間・解説という概念だ。だから、それが伝わればさらに読みやすく臨場感あ触れるぶろぐとなるのだ。)
6日17:57(バイトへ行く)
7日1:13(バイトから帰宅、また書き始める)
さて、ABCDとあるがその関係から説明してみたい。
「世間で言われる子供」 → A
「世間で言われる大人」 → B
「子供」 → C
「大人」 → D
・Aと呼ばれる人の中にはCとDしか存在しない。
なぜなら、世間から見た目では、DなのかCなのか判別できる力がない確率が高い。
ここでいう世間とは、一般的大衆でありもっとも大きな集合である。ピラミッドであるなら、下らへんに位置する人たちである。世間から見た目では、世の中はAかBしか判別できない。
・Bと呼ばれる人の中にはCとDしか存在しない
これも同じこと。
・CはCである
これはわかると思う。「Cと呼ばれる人たち」はいないからである。呼ぶのは大衆である。大衆はAかBかしか見えない。
・DはDである
これも同じである。
・偽の世の中はAとBとCとDが存在する。
・真の世の中はCしか存在しない。
7日2:04
これが関係である。
(ん~、自分でも整理してみると前に書いた自分の文章がおかしくなってきた。笑 訂正していこう。みなさんもついてきてほしい。)
7日2:19
また訂正だ。
ほんとうにごめんなさい。
今書いてきた関係は偽がほとんだ、真は一つだ。
・真の世の中はCしか存在しない。
これだ、これが言いたい。
あー未熟だったー。
では、なぜ私でさえも上の関係でDという人を存在させてしまったのか。なぜなら、私もCだからだ。
それは、真の世界では人(=C)はそれぞれ自分のなかでABCDという存在を作るのだ。
そして、周りの人たちが言う大人と子供をAとBという定義で位置づけ、自分の中の思う大人と子供をCとDという定義で位置づける。
すなわち、自分から見た世界の中では、CとDしか存在しない。他者が発言して初めてAとBという存在に気づきその存在を自分の中で作る。
しかし、自分が
7日2:33
あ!また訂正!笑
というよりは、追加だ!
真の世の中には確かにCしか存在しない。しかし、Dが存在する場所があるのだ。
それが自分のが思ってる世の中だ。
すなわち、
真の世界とは今ある現実世界。
偽の世界とは自分が頭の中で考える現実世界。
だから、やはり
・偽の世の中はAとBとCとDが存在する。
・真の世の中はCしか存在しない。
これは真だ。
では、前にその上に書いた4つの関係はどう訂正するべきなのだろうか?
私はこの答えがわかる。
書けば時間の無駄であるので書かないが、要望があれば書きます。
7日2:40
私がこのあと何が言いたいかわかるだろうか…
そう!なぜ「良い威張り」と「悪い威張り」が存在するのかだ!
・・・・・・・・・・・・
(いやぁ~、思考の迷宮は恐ろしい。どんどん違う方向へいってしまう。今私が述べた話題は、哲学なのだろうか?私はいっさい哲学というものに触れたことがないのでわからないが、しかし、「ひらめき脳」の本にあることが書いてあった。
{人間はかつて住んでいた魂の故郷「イデア」を思い起こすのだ by学哲学者 プラトン}
これを読んだ時にはふーんと思っていたが、あとでよく考えたら、びびっとひらめいたのだ!
{あとで}はいつかというと、このブログを書く前だ。私は大人という定義を自分で考えながら、このブログを書いていた、私は書きながら考えてる。そして、今思ったのは今私が言っていたDという存在はイデアなのかもしれない。わからないが。わからないと私が言う理由は、イデアの定義をしらないからだ。私はプラトンの言葉から推測してイデアの定義を予想してあてはめただけだから。)
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またそれた!笑
さて、よい威張りというものは簡単に言えば、相手に気づいてほしいから威張るのだ。
もし、私がこのブログの全文を「~かも。~だと俺は思うけど…。」などと言っていたら何の説得力もない!笑
そして、よい威張りを言う人は、自分の威張りを悪い威張りといわれてもかまわないと思っている。いつかきずいてくれると思ってるからだ。
悪い威張りは、相手を知ろうという姿勢もなく、自分の世界に浸ってることで自分に自信があり威張る。
悪い威張りをしている人は、自分の威張りを悪い威張りといわれることに対して、怒る。?
書いていてわからなくなってきた…![]()
笑
もういいここで終わりー!
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とりえあえず私がこのブログで言いたいことは
社会人になる前に、いっぱいいっぱい考えて、学んで、悩んで、自分の中で大きな大きな世界観を作っておくことが大切なのかな、と思った。
そうすれば
社会人となって、その会社独自の文化を押し付けられ、その世界観が自分に中で形成されてしまっても、自分の中にそれよりもっとおおきな世界観をすれば、「A」にならなくてすむのかな
社会人と学生の圧倒的な違いは「自分の時間」を持つ時間だ。
学生はいっぱいある。
7日3:20~3:35(食事タイム。笑 そんなことまで書かなくてもって感じだね。)
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バイトからかえってきて見つけた記事におもしろいものがあった
「ブログスカウター」
http://www.venturenow.jp/news/2007/07/06/2250_014851.html
俺のブログは世間一般的な評価はいくつだろうか?笑
さてこのブログのタイトルをつけた時間は
3:59 7日 だ。
