ピーマンが
嫌いという人もいれば
好きな人もいる
あの人は
嫌いだという人もいれば
好きだという人もいる
あれは
簡単だという人もいれば
難しいという人もいる
あれは
非常識だいう人もいれば
普通だと思う人もいる
あれは
おかしいと思う人もいれば
当然だと思う人もいる
お金は
汚いものだという人もいれば
ありがたいものだという人もいる
世の中は
悪いという人もいれば
良いという人もいる
可能性に
満ち溢れていると思う人もいれば
絶望的だと思う人もいる
未来は
明るいと思う人もいれば
不安だという人もいる
そんな感じで
同じものでもいろんな見方があり
自分がどっちサイドにつくかで
それを証明するために人は
『証拠集め』をするんです
それはコロナでも同じことで
コロナは
危険だという人もれば
安全だという人もいる
最悪だという人もいれば
ラッキーと思う人もいる
危険だと思う人は
どこどこで何人感染した
重症化した。死んだ
海外ではこんなにひどいことになっている
新しい変異株はこんなに危険だという
『証拠を集めてくる』
逆に
ナコロは大丈夫だという情報を
集めることはしないし
あれはおかしい、間違っていると
聞く耳すら持たない
それは逆でも同じことで
コロナは大丈夫と思う人は
インフルと同じだ
インフルより死者数は少ない
死ぬ割合は少ない
変異株は実際力は弱い・・・・
など
『証拠を集めてくる』
そして逆の
コロナは恐いという情報を
集めてくることはないし
聞く耳すら持たない
結局は
自分がどっちサイドにつくか
どっちを信じているかで
『集めてくる証拠』は変わってくる
そして
その証拠は
現実まで作ることになる
コロナを危険だという人は
コロナがいかに危険かという現実を創り出すし
コロナは大丈夫と思う人は
コロナがいかに大丈夫かという現実を創り出す
何事も
良いと思う人もいれば
悪いと思う人もいるんですよ
それがわかれば
互いに批判する必要もないし
そういう考えなんだなぁとなるんだけどね
争いがなくなるとはそういうこと
自分の中の正義が
人を傷つけてしまうのです
そして
世の中はいろんな人がいて
同じ人間はいないということです。
結局は
人それぞれの
正義があるということなんだよね
どれが正しいとかではなく
なにを信じてるか?
今日も軽く一杯いかしてもらいます
先日
スパルタンで行った新潟
そこで買ってきた
日本酒が美味しすぎました😍
あまり日本酒は飲まないんですが
これはうまいっ!