このブログは私の思いをずっと残したいので書いています。私の父の妹すなわちわたしのおばの文子さんが先日亡くなりました私たちはふんちゃんとよんでいたのでこのあとはふんちゃんにします。ふんちゃんとわたしはサザエさんのカツオとサザエさんぐらいの年齢差でまあ年の離れた姉弟みたいなものでした。客観的 周りの人によるふんちゃんの形容はずばりはんぱない美人たくさんラブレターもらってたみたいだ。私の同級生の女子がかなりこうふんぎみでわたしのところにきて 「あんたあんなきれいなおねえさんいたんや」と熱く語ったりしました。私の家族にくっついて東京旅行した時にもタクシーの運転手さんがやたらふんちゃんをほめていました「東京なんかより金沢のほうが美人多いですね」なんてね」ふんちゃん金沢じゃないけどね
でも私の書きたいのはふんちゃんの顔の話じゃなくて(でも十分語ったみたいだけど)ふんちゃんとの思い出話 この後は各段落間につながりのない箇条書きのようなものです
幼い頃はよく面倒見てもらいました昭和の大家族住まいでまだ中高生だったふんちゃんにはお風呂に入れて盛らったり 昼食の準備をしてもらったり 小学生の時にはよくかなざわにあそびにつれていってもらいました。ふんちゃんが就職した会社の人たちと金沢の江戸村(もう滅亡した)に行ったとき ふんちゃんがわたしもさそってくれました。わたしはもう小学5年生でかわいいとちやほやされる時期から脱却したころで 会社の人たちは
ぎょっと」した表情を浮かべてましたがふんちゃんが」「この子歴史を習う頃なんでべんきょうのためにつれてきました」おナイスフォロー すると会社の人たちも「ああ勉強か勉強は大事だよね」と一挙に表情はやわらぎ張り切ってあっちこっちの展示物を説明してくれました
一緒に見た映画は巨人の星 南太平洋かな
洋楽をよく聞いていたみたいで ビートリズはよく流れていましたあとはサウンドオブミュージックかな そして英語も音読を指定らのを覚えていますこれらのおかげで英語は私の得意科目になりましたThank you Funnchan.
いなかっぺ大将好きだったなあ。当時小学館の学習雑誌例の{ぴかぴかの}に連載されていて発売日には私の家に来て読んで大笑いしてました。この頃は私たち父母私の核家族は別の家にいました
運動会徒競走毎年六人中六位d明日が「小学2年の時
ふんちゃんも応援に来てくれた時 五位になりました・走っているとき私を呼ぶふんちゃんの声がはっきり聞こえました。tえつやするとあとで7ふんちゃんは「なんやいねあんた最初三位ヤンタンやよそれがだんだん抜かれて行って」とあきれがお でも頑張ったご褒美にチオコレートもらいました
徹夜するとふてえまぶたになるらしいという怪しげな情報をゲットしてそれをふんちゃんに話したら 「じゃ家で実験する今日徹夜の仕事あるから「というわけでふんちゃんの部屋で偉大なる実験がおこなわれたのでございます。それが功を表したのかはわかり7ませぬが確かに現在の私は二重です
今思い出せるのはこんなとこかな ふんちゃんこんなんでいいかな