ごきげんよう。

 

 

冬至を過ぎて、

日々変わるエネルギーに

身体が追いつかなかったのか

数日、発熱してました。

 

知恵熱、でしょうか(笑)

 

熱の方は、寝てれば治るって感じだったので

葛根湯を飲んで寝るだけ、という対処のみ。

 

全快しました。

 

 

 

 

こんなヒキコモリ生活のわたしでも

人間関係が多少なりともあるわけで。

 

また今回、もうほんとに

「盗聴器が仕掛けられてる?」

ってくらいのタイミングで

ここ数年、関わっている人がまた浮上してきて

なんかこう、モヤモヤしていたわけですよ。

 

その人の、なにがイヤなんだろう?

 

自分に問いかけても

ぜんぜん言語化出来ないの(笑)

 

ただ「だってもうヤなんだもん!」の繰り返し。

 

平たく観察すると

 

 

・自身の(負の)状況を他人のせいにばかりにしている

・とにかく、最終的にはネガティブ方向に持って行く

・自分が大変なのを認めて欲しいアピールがすごい

・甘えるな、わたしはオマエの母でない

・要するにエネルギーバンパイアだと感じる

 

 

外に見えるものは自分の内にあるものだから

なるほど、これらがわたしの内側にもあったから

あの人を出現させていたのか。

 

これがいま、顕在化してるってことは

手放しチャンス、ってことね。

 

って、ひたすら意識のクリアリングワークをしていた。

 

 

 

 

わたし「やさしさ」ってのも、よくわからなくなっていて

 

「やさしい」=「許容」=「すべてを飲み込む」

 

っていう定義があったから

 

だからわたしはやさしくない、

すべてを飲み込めず、許容できない自分は人間失格。

 

って自己否定を繰り返し

そのくせ、がまんを強いていた。

 

 

でも、その人とのやり取りを

ずっと思い起こしているうちに

相手の「依存心」を

突っぱねきれてなかった自分に気が付いた。

 

要するに「共依存」だったってこと。

 

相手からの依存心を支えるのは

同じ力の相手への依存心が自分にないと

釣り合いが取れない。

 

相手から依存されるのが

うれしい自分がいた、と。

 

この人を許容しているわたし、やさしいかも。

→単に自己肯定感が欲しかっただけ

 

みたいな勘違い。

 

 

本当のやさしさって

 

「依存を許容すること」じゃなくて

「自立を促すこと」なんじゃないのか?

 

って気が付いたら、今まで

 

「冷たくあしらってこれ以上傷つけたらどうしよう」とか

「自身の負のループに気が付いて、そこから抜け出せるように」とかしてたんだけど

それが、相手を助けているようで、ただ

自分が傷つきたくないための行為だったって気が付いた。

 

相手をコントロールしたいっていう欲求。

助ける相手は外側にはいない。

 

そしたら、今まで感じてた

 

「せっかく○○してるんだから、ちゃんと反応してあげよう」

 

ってのが、わたしの保身(やさしい人だと思われたい)で

その人の自立を潰してたんじゃないか?と。

 

 

わたしがその人にどう思われたとしても

その想いは、その人の中にあるものだから

わたしがコントロールするものではない。

 

わたしが出来るのは、その人が

恐れの世界から愛の世界に、自ら気が付くのを待つだけ。

 

その人にそれが出来るっていうのを、信じるだけなんだ。

 

 

ってことで、完全に手放し。

 

 

・・・って聞こえはいいけど、

相手にするのをやめました、っていうか、

やっとやめられました。

 

 

 

 

なんかね、スピ系で言われてることの

矛盾ってたくさんあるんだけど

 

ワンネスです、わたしはあなたであなたはわたしなんです。

分離の意識をやめましょう~

 

ってのと、

 

周波数が違う人には関わらなくていい

手放せ、人間関係を断捨離しろ

 

っていうのが、相反してる気がして。

 

どっちなんですかね!ハッキリしてくれませんかね!!

って思ってた(だからこれが分離思考w)

 

でもなんか、もっとゆるく

 

ここちよかったら相手にする、

そうじゃなかったら、あえて関わらない。

 

みたいな感じでいいのかなぁ、と。

 

 

その人が、なにを選択しようとも

わたしの世界ではなく、

相手の世界で選択した出来事。

そこにわたしが責任を感じる必要は一切ない。

 

 

これが、自分を否定せず、がまんせず

自分が自分にやさしくしてあげること。

 

自分が自分にやさしくするってことは

自分=世界なんだから

その人を含む世界にやさしくしていることなんだよね。

 

 

 

 

「だってもうヤなんだもん!」は

相手から来る、真っ黒いタールみたいな依存心が

べったりくっつく感じが耐え切れなかったから。

 

わたしに「共依存」の感覚がなくなってしまったので

支えきれなくなっただけ。

 

勇気をもって「千尋の谷底」に放置してもいい。

そこから這いあがるかどうかは、本人次第。

 

 

自分の意識に集中して、

その人も「よくなる」パラレルに移行ればいい。

 

だって世界はわたしの投影だもの。

 

 

 

 

今年も一年、お付き合いいただきませて

ありがとうございました。

また来年もよろしくお願いいたします。

 

良いお年をお迎えくださいませ。