ごきげんよう。

 

 

 

3月31日、母が急逝しました。

4月6日に初七日が終わりました。

 

 

 

 

知らせを受け取ったのが、その日の15時過ぎ。

兄からの着信。

 

出る前にコールが切れたので折り返すと、会社から実家に向かって高速を運転中、先に嫁さんに実家の様子をに見に行ってもらったら母親の意識がないらしく救急車を呼んでいる、と動揺している兄、まったく意味が分からないわたし。

 

母はその日、隣の家と一緒に山梨県の塩山市のお寺に行く予定だった。

着歴をよくみて見たら、最初の着信は、その隣の家の人からだったので、折り返した。

 

朝、母親が集合予定時間に来なかったので先に出発した、でもおかしいので見に行ってくれとのこと。

 

『え?なんで母親置いて、先に塩山に行っちゃってるの??』

 

ってのが頭に浮かんで、会話内容が頭に入ってこない。

 

とにかく、汗かいた服だけ着替えて、実家に向かった。

 

16時半過ぎ、到着した実家には、2人の兄が両方とも夫婦そろっていて、第一発見者のお嫁さんの実弟夫婦とお母様と、事情聴取の警察と鑑識係の人が来ていた。

 

救急車には「すでに緊急性がない」とのことで、乗せられなかったらしい。

 

事件性有無の検分中の家の中には入れず、カーテンが開いていた窓から母の様子を確認した。

 

 

いつもと同じ格好で普通に寝ていた。

 

でも、そこから世界が一変していった。

 

 

 

 

まったくリアリティがないまま、鑑識とお医者様の確認が終わって、家の中には入れたのが21時くらい。

そこからは、わたしがいつも実家に通っていたので、ということで、警察の立ち合いで家の中を確認。

 

それが終わって、警察が引き上げたのが22時過ぎてたのかな。

22時半くらいだったかも。

お母さんの顔には、白いタオルがかかっていた。

 

互助会に入っていた葬儀屋さんに連絡したら、20分くらいで到着。

警察が検死の後に着せてくれた下着の上に、浴衣を着せて葬祭会館へ移動した。

 

 

 

 

死因は「心疾患」。

 

だけど、お医者様曰く「未明から明け方、ほぼ即死状態だったので一切苦しんでないだろう」とのこと。

 

そうなの。本当に寝てるみたいで。

 

警察の検分を待っている間に、隣の人が塩山から帰ってきて、そのまま、母の近所の友人のところへ挨拶に行った。

 

母は美容室を営んでいる。

 

聞くと前日、その近所の人は遊びに来ていて、母はお客さんを3人仕上げて、そのあとみんなで食べようって、自転車で近所のスーパーまでみんなの分もお弁当を買いに行ったらしい。

 

ウソでしょ?って、何度も言われた。

わたしもそう思ってるよ、と受け答え。

 

 

 

 

会館に移動してからは、一旦家に帰って、お風呂に入って片付けして、会館へトンボ帰り。

 

翌日は会館へ泊ったので、駆け付けた甥っ子ちゃんの相手をしたりして、なんとなく寝たのが夜中の2時くらい。

 

31日に起床してから、気が付けば45時間後だった。

 

そこからも、ずっと3時間くらいの睡眠だった。

とにかく、やること決めることが多くて!

 

 

 

 

家に帰る運転中、内観をしていて、不思議な感覚に襲われた。

 

母が亡くなって悲しいんだけど、これでもう一番恐れていた「母の死」を恐れなくてもよくなったし、母の心配もしなくてよくなったので、とっても安堵していてしあわせを感じていたんだよね。

 

 

あぁこれがホンモノの「恐れからの解放」ってヤツか。

「究極の癒し」ってヤツなのかぁぁ!って(笑)

 

 

そんな風に思えたのは、この1年以上、自分に向き合ってきたからだと思う。

 

細かいことはたくさんあるけど、母に対して「大きく後悔」することがなかった。

結果的には最後になっちゃけど、親孝行のまねごとも出来たし、ただもう、本当に感謝しか出てこない。

 

これ、自分の問題を解決してなかったら、母の死も受け止めきれないし後悔ばかりが浮かんできて、きっと一生立ち直れなかっただろう。

 

トラウマを解消出来たタイミングが完璧すぎて、心底、内観と解放をやっといてよかったって思ったし、そうじゃなかったら素直に、思いっきり泣くことも出来なかった。

大泣きした後もケロッと出来る、子どものような感覚。

 

 

お母さんに素直に「ありがとう」って言えるしあわせ。

生きてる頃より、全然近くに感じられるしあわせ。

 

 

あぁ、母がいてもいなくても、わたしが「しあわせ」なこととは、なにも関係がなかったんだ。

わたしはいままで、なにを求めていたのか。

 

 

 

 

最後の晩、翌日はお寺参りをするので、お風呂に入って寝たらしく、最後のお清めまで自分でしていた母。

 

髪はつやつやサラサラで、爪にはマニキュアが塗られていた。

享年85歳(笑)

 

最後の日まで現役美容師として仕事して、近所の人と楽しく食事して、翌日は楽しみにしていたお寺参りをするって、ワクワクしながらお風呂入ってマニキュア塗って、道中のおやつも用意して。

 

ただ、行き先を間違えてしまったけど、わたしには母の人生も「しあわせだった」んじゃないかと思えた。

 

 

もちろん、生きてる間にはいろんなストーリーがあったと思う。

 

ニュージーランドへワーホリに出発する前、一緒に行った花のイベントの時に撮った写真が遺影となり、そのなんとも言えない表情は菩薩様のようにも見えて。

 

今より25年くらい前の「あ、お母さんだ!」って思える頃の写真で、お線香をあげに来てくれた近所の人たちからも「いい写真だ」「若くなった」って言われてる(笑)

 

変なのになったらヤだなって思ってた戒名も、母を端的に表してる素晴らしいものを付けていただき、お墓も、実家から徒歩圏内のお寺さんで見つかって、近所の仲間たちもお参りに来れる本人の希望通りの条件で。

 

なんなら、わたしもそこに入れるっていう、うれしいオマケ付きです(笑)

 

 

いろいろ考えた結果、49日が終わるまでは祭壇のある実家に毎日行こうと決めた。

 

でも、ネットとモバイルPCがないとなにも出来ないので、それを退去の片づけがひと段落するまでに、なんとかしようと思う。

 

でもまぁ、母が亡くなってから起きている出来事が「実は全部手配してるんでしょ?」っていうほど奇跡の連続なので、そのことについても、全く何も心配してない。

 

かわいい位牌も見つけたので、やっと、母とこの家に住むっていうことも実現できるので、それも楽しみなんだよね。

 

 

 

 

今回の皆既日食のおひつじ座新月を前に、自分のステージが変わっていくのを感じている。

 

永遠の「いま」を楽しみましょう!

 

 

 

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リピーター向けのメニューを設定しました。

おとめ座新月にプチリニューアルです。

 

本来のあなたを、占星術からひも解きます。

ご自身の楽園(理想の未来)が現実化するプロセスをお楽しみください。

 

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