ごきげんよう。

 

 

 

今朝のお散歩中に、不意に

 

「わたしはこの世界が大好きだ」

 

って感情がわいてきた。

 

 

 

 

そう。

 

「大好き」

 

だったんだよね。

 

 

そうしたら、この「大好き」な世界を構成しているもの、全部が「大好き」なんだって思った。

 

 

今見えてる空も、鳥も、山も、お金も、お母さんも、すれ違うおじさんも、お連れの犬も、過去のわたしも、未来のわたしも、これから出逢う人たちも、あるものぜんぶぜんぶぜーんぶ。

 

 

そうしたら、ただ「大好き」っていう空間に「大好き」っていうものがあるだけになった。

 

 

固有名詞が外れて「大好き」に変わったら、そのものを区切ってる境界線がなくなって、自分の意識がどんどん拡がって「ぜんぶひとつ」だったっていう感覚になった。

 

この大好きな世界から「大好き」っていうフィルターを取ったら、ただ、「在る」だけになる。

 

 

あぁ、これが「全」の感覚なのかって思った。

「ワンネス」でもいいや。

この世界でとりあえずの形をした肉体を「個=自分」と認識してるだけなんだ。

 

この「大好き」っていう感覚は自分から発生していて、それが「世界」を創ってる。

 

 

ってことは「世界=自分」

 

ってことは「世界=自分=個=全」

 

 

よく「意識を拡げる」とかって聞くけど、正直「???」だったんだよね。

でも、拡げようとしなくても、勝手にどんどん拡がっていくものだった。

 

 

 

 

イメージ的には、光をプリズムで分光した時に、分かれた光は「赤」とか「紫」とか、とりあえずの形で違いが出て来るけど、もともとは「(全部の要素を含んだ)光」だから、この世界を観測(体験)するっていうのは、その光から「プリズム(自我)」を通して色を視ていくことなんだって感じ。

 

だから、元の「光」を意識すれば「全」、「色」を意識すれば「個」。

 


・・・わかりにくいかな。

 

 

逆から例えると、例えばフォトショップなんかで画像を編集するのにレイヤーを重ねるけど、その1枚のレイヤーが個で、レイヤーを連結させて重ねた状態でひとつの図として扱うのが全、っていう感じ。

 

レイヤーごと1個1個バラバラにファイルナンバーが付いてたのを、連結させてまとめてひとつのファイルにしたらレイヤーごとの独立性はなくなるけど、そのファイルはワンクリックで全部動かせる。

でも連結を解いたら、また別々に動かせる(「個」に戻る)、みたいな。

 

 

・・・。

 

やっぱり、右脳の感覚を左脳の言葉で表現するのは難しい;

 

 

 

まぁ結局、なにが表現したかったかっていうと、

 

「分離は幻想だった」

「世界は完璧だった」

 

ってことだけなんだけどね(笑)

 

 

 

***

 

 

 

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