ごきげんよう。
今朝のお散歩中に、不意に
「わたしはこの世界が大好きだ」
って感情がわいてきた。
*
そう。
「大好き」
だったんだよね。
そうしたら、この「大好き」な世界を構成しているもの、全部が「大好き」なんだって思った。
今見えてる空も、鳥も、山も、お金も、お母さんも、すれ違うおじさんも、お連れの犬も、過去のわたしも、未来のわたしも、これから出逢う人たちも、あるものぜんぶぜんぶぜーんぶ。
そうしたら、ただ「大好き」っていう空間に「大好き」っていうものがあるだけになった。
固有名詞が外れて「大好き」に変わったら、そのものを区切ってる境界線がなくなって、自分の意識がどんどん拡がって「ぜんぶひとつ」だったっていう感覚になった。
この大好きな世界から「大好き」っていうフィルターを取ったら、ただ、「在る」だけになる。
あぁ、これが「全」の感覚なのかって思った。
「ワンネス」でもいいや。
この世界でとりあえずの形をした肉体を「個=自分」と認識してるだけなんだ。
この「大好き」っていう感覚は自分から発生していて、それが「世界」を創ってる。
ってことは「世界=自分」
ってことは「世界=自分=個=全」
よく「意識を拡げる」とかって聞くけど、正直「???」だったんだよね。
でも、拡げようとしなくても、勝手にどんどん拡がっていくものだった。
*
イメージ的には、光をプリズムで分光した時に、分かれた光は「赤」とか「紫」とか、とりあえずの形で違いが出て来るけど、もともとは「(全部の要素を含んだ)光」だから、この世界を観測(体験)するっていうのは、その光から「プリズム(自我)」を通して色を視ていくことなんだって感じ。
だから、元の「光」を意識すれば「全」、「色」を意識すれば「個」。
・・・わかりにくいかな。
逆から例えると、例えばフォトショップなんかで画像を編集するのにレイヤーを重ねるけど、その1枚のレイヤーが個で、レイヤーを連結させて重ねた状態でひとつの図として扱うのが全、っていう感じ。
レイヤーごと1個1個バラバラにファイルナンバーが付いてたのを、連結させてまとめてひとつのファイルにしたらレイヤーごとの独立性はなくなるけど、そのファイルはワンクリックで全部動かせる。
でも連結を解いたら、また別々に動かせる(「個」に戻る)、みたいな。
・・・。
やっぱり、右脳の感覚を左脳の言葉で表現するのは難しい;
まぁ結局、なにが表現したかったかっていうと、
「分離は幻想だった」
「世界は完璧だった」
ってことだけなんだけどね(笑)
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