ごきげんよう。

 

 

 

先日、良く観てるyoutubeで、中東へ向けての同時瞑想があった・・・

 

・・・んだけど、遅れてアーカイブで参加(笑)

 

 

オンタイムは夜中だったのと、まだ自分自身の中の「争いをジャッジするマインド」に決着が付いてなかったから。

 

どういった軸で参加すればいいのかわからなかった、っていう方が近い。

ニュートラルに受け取れないっていうか、どうしても判断してしまう。

 

でも、なんとなく「今起きていることの先の理想にだけ」意識を持っていくことが出来たので、ネガもポジも出さない「中庸」でいられる自信が付いたので、ようやく参加できたって感じかな。

 

 

 

 

物事にはポジティブもネガティブもなくて・・・なんて言うけど、それを実践するのは難しい。

どうしても、ジャッジが入る。

 

ネガティブなジャッジ(エネルギー)が入れば、それは向こうの作戦にまんまと乗ったことになるし、ポジティブなジャッジは「ネガティブな出来事」の上に成り立っている。

 

だから、どっちにしても同じことなんだよね。

だったら、自分のタイミングが来るまで待つ、って感じだった。

 

 

 

 

自分の中のジャッジが薄くなったと感じたのは「無条件の愛」が腑に落ちてから。

 

判断に条件を入れなくなった。

 

そうしたらなんと、どうしても受け入れられなかった「人類にひどいことをしているとされる支配層」と言われる人たちにも、気持ちの上で「愛をもって接する」ってことが出来るようになったんだよね。

 

いや別に、知り合いじゃないけどw

 

 

その系の話を聞いても、まったく心が揺れない。

「だから何?」って感じ(笑)

 

 

ひどいことはひどいことだとは思う。もちろん。

状況の流れとしては、情報はおさえておくけど判断しない。

出来事を出来事としてのみ捉えるだけ。

 

物事ってコインの裏表だから、する人がいればされる人がいて、それって、両者の合意がないと起きない宇宙の法則の上に成り立ってるから、外野がとやかく言うことじゃないんだよね。

 

 

 

実際に「目の前で起きたことではないもの」に意識を向けない。

全てのものに「コントロールがある前提」を持つ。

 

自分の身に起きたときにのみ、対応を考える。

それ以外は、自分の内面を「イマココ」に整える。

 

 

これ、さらにわたしの「ロボット化」が進んだのか(笑)

 

気分を揺らさず、愛をもって見つめる。

これってよくいう「慈愛」の視点なのかな。

 

 

 

 

「愛を探すゲーム」が終わったと思ったら

「愛を実践するゲーム」が始まったよw

 

わたしのハイヤーさんは、どこまでもゲームジャンキー(笑)

 

 

 

***

 

 

 

リピーター向けのメニューを設定しました。

おとめ座新月にプチリニューアルです。

 

本来のあなたを、占星術からひも解きます。

ご自身の楽園(理想の未来)が現実化するプロセスをお楽しみください。

 

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