ごきげんよう。
今日はまとめじゃなくて
なんとなく書きたくなったことを書きます。
頭の中を空にしたいので。
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ぜんぶある・既にあるの感覚が理解が出来たとき、世の中が
「ある(1)」と「ない(0)」の重ね合わせでできている状態
だってことが腑に落ちたんだよね。
1と0の重ね合わせは量子コンピュータの世界(5次元)。
シミュレーション仮説ってあるけど、聞いた最初はぶっ飛んでるなーって思ってた。
元々「この世界は周波数でできている」というのは腑に落ちていたけど、それから数日は、自分の「眼で見ている」とする映像と
「実際の状態」が脳内で両方みえるような、すごく不思議な感覚にたびたび襲われた。
みえてる世界にフラッシュバックで、マトリックスのシーンが重なって見える。
まさにこれ↓
なるほどそうか!わかったー!!って感じ(笑)
ブログ書いてる人、通常表示とHTML表示を切り替えると「データでみえる感覚」がわかるよ。
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この「世界」はひとりひと宇宙なので、みんな違うパラレルにいるから、自分すら
「相手の世界に出現してる自分(ゲスト)」と
「自分の世界で認識してる自分(主人公)」は違う。
たとえば、
「Aさんからみたわたし」が
「わたしの認識してるわたし」とは別人ということ。
極端に言えば、物理法則が違う世界に生きていても、何にも不思議じゃない。だから否定する必要がない。全肯定。
だって、「相手の世界の自分」は「自分の世界の自分」では体験できないから。
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結局、現実と認識されている世界は、眼からの情報を「直接見てる」わけじゃなくて、網膜から取り込まれた情報が電気信号として脳内に行って、脳内で「みえてる(と捉えてる映像)」になるだけ。
しかも、眼から入った情報を脳内で構築するのに、情報処理に少し時間がかかるから、みえてる世界は眼球の外側の世界よりちょっと遅れてるらしい。
この現象は、動画をさらに動画として録画するとわかるんだけど、並べて再生すると元動画の画像と録画した動画は、音のタイミングは同じだけど、画像にすこしズレがあるように録れる。
実際の世界(眼で見る以外の世界・外の世界)がどうなってるかなんてわからない。
他人の眼球を通した映像を見ることは出来ないからね。
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カメラで例えると分かりやすい。
昔ながらのフィルムカメラ:
ファインダーを除くとレンズ越しだけど被写体が直接見える
デジラルカメラ(スマホのカメラ):
レンズが取り込んだデータを画面で見るので映像は被写体ではない(なのでエフェクトかけた加工映像が同時に見られる)
網膜と脳の機能の関係性は、電気信号を使うのでデジカメの方。
デジカメは、レンズからの映像をデータとして取り込んで、画面い映像データを再表示する。
眼は直接世界を見てるわけではない。
だから、そのデジカメごとに画像を変えられる。
その人ごとのエフェクトがエゴのメガネ(思い込み)。
なので一緒にいてもみてる世界が違うし、同じものはない。
赤いフィルター越しに見れば赤が認識できない映像をみてるから、赤いものが見つからないって探すし、同じ空間にいてもみる角度が違えば見えてるものは変わるから、みんな違うパラレル(宇宙)にいる自分の世界を見てるだけ。
「同じ空間にいる」っていうこと自体が「共同幻想」。
なので他人はいない(全部自分の世界でみえている現象)ってこと。
「自分の目の前のことに集中する」っていうのは、結局はみえてる世界しかないよってことだよね。
もちろん、自分がアバターからログアウトすれば、自分がみている世界は消える。
睡眠だったら寝るときに夢の世界にログイン、起きたときに夢の世界からログアウト・三次元にログイン、いつもの世界は再構築。
だから、寝入りばなと起き抜けには潜在意識とつながりやすい。
納得してゲーム終了すれば、アバターからは完全ログアウト。
でも本体(意識)はなくならない。
だから4ぬことは消滅することではなくて、3次元のアバターを脱ぐだけなんだよね。
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世界を創ってるのが「自分の気分(周波数)」なんだから、自分に優しくすれば(働きかけが出来るのは自分だけ)、他人(とみえている現象)も優しくなるのが当たり前の世界。
情けは人の為ならず。
天に唾吐けば自分に返ってくる世界とも言うね。
で、そのデジカメ越しの映像じゃなくて、直接の世界はどうなってるのか?っていうことが書かれてるのが、みんな大好き般若心経。
「一切は空だ(何もないけど全部ある・量子の世界)」っていう解説書。
やっと理解が出来たよね。まだ完全じゃないと思うけど。
それと同じく、京都・龍安寺の「知足のつくばい」も「足るを知る=欲かくな、現状で満足しろ」っていう【ない・不足】からの視点じゃなくて「足るを知る=あるから安心しろよ」っていう【ある】からの視点なんだって思ったよ(個人の感想)。
龍安寺には、宇宙を表現していると衝撃を受けた「枯山水」の石庭もあるし。ちゃんと前から教えはあった。
よし、また行こう。
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映すデジカメ(自分というエゴアバター)がなければ映像はない
↓
3次元を楽しむには分離(デジカメ本体)が必要
↓
デジカメの性能(周波数とエフェクト)でみえる世界がかわる
↓
デジカメのコンディションとエフェクトを整えて、みたい世界を映しましょう
ってことに尽きる。
エゴが空間を切り取った(分離)デジカメなら、本来の自分(意識)はそれ以外の「空(全体)」の部分。
「ぜんぶある」ところから世界をみると
ただただ安心した心地の良い世界。
・・・ホログラムだけどね(笑)
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今までの「願望実現」は、長年のDS洗脳の競争社会によって
【ない・不足】の世界に閉じ込められた「かごの鳥」状態だから
「今はそうじゃ【ない】、だから欲しい」が出発点。
なので叶ったり叶わなかったりするのは、以前の記事で説明済。
全部【ある】ところからだと「願望」が持てなくなる。
願望はただの「そうしようと意図する」だけのことになる。
「実現していることが前提に【ある】」から思いついたので
「願望を実現するために」何かをしなくても勝手にうまくいく。
すごく似てるんだけど、違いの説明が難しいね。
例えば【ない・不足状態】からの願望は余計な単語がくっついてる。単純にわかりやすいので英語で説明。
出発点が I am not a rich.(お金持ちじゃ【ない】なぁ)
↓だから願望が出る
I want be a rich.(お金持ちになりたいなぁ=なってない)
↓いろいろやって自分に許可が出せると
↓(努力により自己肯定感が上がる。【ある】になる)
I am a rich.(オレ(なんやかんやあったけど)金持ちだ!)
潜在意識でがんばりを認めて、許可できるので願いが叶う。
いつまでも自分に許可が出せないとなれないので、叶わない。
全ての可能性が【ある状態】からの願望は、最初から
I am a rich.(オレは金持ちである。)
って決める(なる)だけ。
英語の時間に「BE動詞は=だ」って教わったと思う。
自分と状態を、現実無視して最初から=と認識する。
あとは「なった」状態で普通に生活していればいい。
そうすれば「認識が先、現実化が後」だから、そのように現実が変わってくる。並木良和さんの言う最適化の世界。
やることは【ある世界】から思いついた行動をとるだけ。
【ない・不足】から思いついたことはエゴのウソだからスルー。
同じ行動をとるのでも重ね合わせの世界だから、見極めはここ。
これが、鳥が「かご」から抜け出す方法。
世界への理解がどんどん深まってくる。
なので【ない】から【ある】への認識変更が重要なんだけど、よくわからなかったら「鋼の自己肯定感」と「安心感」を構築するのが先で、それには自己否定とか無価値感とか解消して、ネガティブ感情を手放すようにCPワークをするのがいいよ。
もちろんこれは「わたしの世界」のことなので
参考意見として捉えてくださいね![]()
