Aが七里ガ浜に連れて行ってくれた日は、

 

実のところ

 

私のお誕生日当日でした。

 

 

 

 

 

AはいつもTシャツにジーンズみたいな

 

ラフな服装ばかりだけど、

 

この日はスタイリストさんにコーディネートしてもらった

 

センスの良い服に身を包んでいて、

 

 

「 この袖のまくり方、

 

 ミラノ巻きって言うんだってー にっこり

 

 

なんて、

 

タグが付きっぱなしだった服に初めて袖を通し、

 

ウキウキしてるのが伝わってきた。

 

 

 

 

そんなテンションの共有が、

 

私の嬉しさを倍増させるニコニコ

 

 

 

 

 

 

それと同時に、私のお誕生日を意識し

 

日付をまたぐような電話をくれていたCだったり、

 

Aの部屋にいるときに

 

お祝いの電話をくれたBだったり。

 

 

 

 

 

 

そもそも10年以上もレスの夫婦関係において、

 

自分が女である必要なんて

 

全く無いどころか、

 

便利な家政婦として扱われる日々の裏側で、

 

彼らは間違いなく、

 

私に女性としての潤いを与えてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

それは私の人生を楽しく過ごしていく上で

 

必要不可欠の、心の養分。

 

 

 

 

 

 

 

 

レストランのスタッフさんに撮影して頂いた

 

Aとのツーショット写真。

 

 

気を効かせて何枚も撮ってくれて

 

Aも私も本物の仲良し夫婦みたいに、

 

お誕生日ケーキを前にして

 

自然と肩を寄せ合うその姿は

 

とても穏やかで、優しい表情をしてた。

 

 

 

 

リスクは最低限が良いから、

 

帰り道に全て消去しちゃったけど、

 

名残惜しくてAに転送したら

 

「 おれが代わりに保存しておくよ 」

 

と返事をくれて。。。

 

 

 

 

 

私以外に抱く女のいるAの発言に

 

期待するのは間違っているとしても、

 

今私が重ねている婚外彼氏たちとの日々は

 

消化し排出されるだけでなく、

 

お互いの人生を構成する一部へと

 

少しは組成出来ていると思えた瞬間、

 

無性に泣きたい気持ちになってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚が完成形のゴールじゃないことを

 

痛いほど分かっているからこそ、

 

求めるのは形式じゃない。

 

 

心が欲しい。

 

心で繋がりたい。

 

心を満たし合いたい。

 

 

 

 

 

 

 

誰から奪いたいわけではないのです。

 

壊したいものもありません。

 

 

 

ただただ、

 

自分に枯渇した養分を与えてもらいながら、

 

私は女として枯れず

 

少しでも長く、

 

咲き続けたい。