イコンはなぜ平面画法か

 

正教会に惹かれる理由のひとつは、間違いなく神秘的なイコン。

教会に行くと、壁にずらーーっと美しいイコンが並んでいて、壮観だ。

 

イコンとは、聖なる「像(エイコーン)」、すなわちキリストや聖母、天使、聖人といった人物画が映し出された板絵のこと、だそうだ。広義には、板に限らず何に描かれたものでもよい。

 

(何度も掲載している写真で恐縮だが、ジョージアの首都トビリシにあるシオニ大聖堂。びっしりと聖人の像が並ぶ)

 

 

荘厳で美しくて、とても独特。とりわけ、平面的に描かれた人物(というか人の形をして現世に現れた聖なる存在)画が、人の形をしながら人でないような、現実離れした空気を醸し出している。

 

(ジョージア・ウシュグリのラマリア教会)

 

なんで平面的なんだろう?

 

地域や時代の美術様式かと思っていたが、これは聖人像から人間性を排除するために正教会がこだわった画法だそうだ。

写実主義も立体画法も取り入れない。ルネサンスも関係ない。西欧の宗教美術が立体画法で描かれ、彫刻でさえ表現しているのとは対照的。


『イコンの道』という本に、たくさんのイコンの写真が載っている。なかに、わりと写実主義的な画法で描かれたイコンもあった。魅力を感じない。。。立体画法の西欧の宗教美術は美しいと感じるのに。イコンは平面的であることが美しさに欠かせない要素なんだなあと思う。

 

 

 金と赤と青

 

色も特徴的だ。背景を中心に金色が多用されていて、ほかに赤と青が多いのがとても印象的。

 

 

(ジョージアのムツヘタにあるスヴェティツホヴェリ大聖堂のイコン。金色の光輪に十字が描かれているのはイエス・キリストだけだそう。ということは、向かって左のイコンはキリストということか)

 

 

イコンにおける色には意味がある。どのサイトが参照先として適切か判断がつかないが、「金は天の輝きと天の栄光を象徴し、青は神の超越性と無限の性質を表します。赤はしばしば犠牲、殉教、またはキリストの血を意味し、白は純粋さと神聖さを象徴」という説明を見つけた。

 
 

(前出のシオニ大聖堂の天井あたり。コバルトブルーの空に金の星が描かれているのはしばしば目にする)

 

 

色だけでなく、構図とか登場するものとか、なんでも意味がある。決まりごとが多くて、どれも同じようでいて、同じじゃない。

 

 

 イコンを作った人

 

イコンは、「修道士が祈りとともに描き、制作者の名を入れることもない」そうだ。とはいえ、制作者のわかっているイコンもある。

 

有名なのは、15世紀にロシアで活躍したアンドレイ・ルブリョフ。

彼の描いた図像が、正当な様式として受け継がれることになった。わたしが彼の名を知っていたのは、『アンドレイ・ルブリョフ』という映画があるからだ。監督はアンドレイ・タルコフスキーで、1966年ソ連で制作された(ちなみにタルコフスキーは後年、亡命する)。3時間以上の長い作品なので、見ずにビデオを返してしまった30年前が悔やまれる。

 

もうひとりは、日本人の山下りんさんというイコン画家。彼女が制作したイコンは、つい先日、見ることが叶った。そのことは後日書きたいと思う。

 

 

 偶像崇拝?

 

キリスト教は偶像崇拝を否定している。イコンに祈りを捧げるのは偶像崇拝ではないのか?

正教会では、「像を崇拝しているのではない、像を通して神に祈っているのだ」と定義し、偶像崇拝にあたらないとしている。しかし歴史的には何度も、偶像崇拝とみなされてイコノクラスム(偶像破壊運動)に見舞われている。

大きなところですぐ思い浮かぶのは、ムスリムによる破壊、それからロシア(ソ連)の共産党政権による弾圧。歴史の長い宗教には弾圧の経験がつきものだが、よくそれを耐え、遺されてきたものだと思う。

 

 

ジョージアの正教会では、たくさんのイコンが掲げられていて、教会を訪れる人たちがその前で祈りを捧げていた。とても自然に、さも当たり前のように。敬意と畏れをもって。

信仰心のない自分には、その姿がとても美しいと感じる。

 

 

(この投稿は、『キリスト教会の社会史』彩流社、『イコンの道』東京書籍の2冊を中心に、ネット上のあれこれのサイトを参照して書いている。違うソースに当たったら違う説明が出てきそうなので、引き続き理解を深めていきたいものです)