ジョージア旅行直前の9月、渋谷で開催された「ジョージア映画祭2024」に2回だけ行けました。今なら全部観に行きますね。


『19世紀ジョージアの記録』

監督 アレクサンドレ・レフヴィアシヴィリ

1978年/白黒/67分


タイトルからしてドキュメンタリーのようだが、ノンフィクション。
ジョージアのとある深い森で、開発計画が進んでいる。住民にとって、自然がもたらす恵みは生活の糧だ。「わたしたちが森を失えば、すべてを失う」。そこで住民たちは、計画の阻止をひとりの若者に委ね、彼を町に送り出す。


泥臭い現実的なシチュエーションだが、映画はふわふわと幻想的な時間が流れていく。実際のできごとを寓話的に描いてるんだろうなあ、と思いつつ、住民側に感情移入するのも難しく、ただ場面場面が詩のようにきれいだなあと思って見ていた。





上映が終わると、主宰のはらだたけひでさんだろうか(違ったらごめんなさい!!)、マイクを持って現れた。たった60分の上映でお金を取るのは申し訳ないと、作品の解説をしてくれた。

 

印象に残ったのは、「監督がなにを示唆し、何を訴えたかったか、真意は決してわからない。なぜなら、真意がバレたら危険な時代だったから、それがわからないように作った。当然、語られることもない」というような話だ。

監督のレフヴィアシヴィリは1938年にモスクワで生まれ、後にジョージア国籍になったらしい。この作品は、当局の厳しい検閲下で製作された。

 

詳しくは、はらださんのこちらで記事で↓

 

観た人は、歴史的な出来事に照らし合わせて、この物語はあの時代のあの出来事を象徴しているのではないか、あのシーンは当時のジョージア人のこんな思いを代弁しているのではないか、等々、いろいろ考える。そして、その答え合わせを求める。


もしそこに言うに言えない意図があるなら、答えを聞かなくてもわかる人に対して呼び掛けている、のだろう。

 

とはいえ、レフヴィアシヴィリが亡くなったのは2020年(死因はコロナだそうだ)。ジョージアが旧ソ連崩壊で独立国となってから30年近く経っている。それでも語れなかったのか、もう問う人がいなかったのか。

 

 

監督の追悼動画のようなものを見つけた。

 

 

おもしろかった。この映画や監督のことはもちろん、古いジョージア映画の上映が難しい事情など、周辺のこともいろいろ興味深い。

 

 

さて、もうひとつ、この質疑の時間で印象的だったことがある。

 

会場から、主人公が手に持っていた本はどういう本か、という質問があった(作中、意味ありげに本を持っていた場面がある)。なにか象徴していそうだが、表紙のタイトルは当然ジョージア語なのでわからない。

 

主宰者もその本についてはわからないという。そのとき会場から別の手が挙がった。表紙にアレクサンドル・ゲルツェンと書かれていた、ゲルツェンの著書だろう、と。

 

ゲルツェンは1812年生まれ、帝政ロシアの哲学者、作家、編集者で、農奴解放を支援する「自由ロシア新聞」を立ち上げた人物(会場で聞いた説明はすっかり忘れてしまったので、これはウィキ情報)。

 

そう発言したのはご高齢の日本人女性で、学者か外交筋かと想像させる雰囲気。ご自身についても語っておられたか、すでに記憶はない。


すごい人がいる…という視線が一身に注がれる。彼女とのやりとりで、会場が研究室かなにかのような空気になった。
 

その時間がまるでジョージア映画の続きのようだった。