初ライブ前の伴奏者との、2回目にして最後のリハーサルが先日ありました。
はじめてマイクを使って歌った。本番を意識させられるのでしょう、相手もいつもの先生ではないし、やっぱり緊張します。
これまでも書いてますが、緊張すると呼吸が浅くなり、声や音程のコントロールを失います。風船の糸が切れてしまったら、どれほど糸をたぐる動作をしたところで、風船を操れないのと同じ状態。そうなると特にヤバイのは、やはり高音です。レッスンで問題なく出る音程も、ひっくり返る。
(レッスン風景 by ChatGPT 立ってる人が手をポケットに突っ込んだイラストが生成されたので、その手を出すように指示するも、10回くらい直らなかった。現実のレッスン室はずっと狭く、ピアノでなくキーボードです)
糸が切れたと感じると、高音の箇所はギャンブルの気分。
こう体を使えば、こういう声が出るはず。それがその通りに出たとき、逆にとても不思議な気持ちになります。
出るんだ……
わたしの喉は、ちゃんとこういう声が出るようにできてるんだなあ。つくづく人体の不思議を思ってしまう。そう思ってたら、別のところでかすれちゃったりするんですが。体がまるで他人のように感じる。その自分の体、喉を、信頼するしかない。
こんなにあやういのは素人だから、とも言えますが、大歌手と呼ばれる人でも、同じ心配をして不安ではち切れそうになりながら出番を待つことは結構あるようです。
ソプラノ歌手、ルネ・フレミングの自伝でもその描写がありました。
偶然見つけた、見知らぬ方の動画(本人が名乗ってもいない)では、歴史的歌手たちが、高音が怖くて本番で半音下げて歌っていたり、練習の時に半音上げて歌っている、なんて話も聞きました。
彼らの「失敗」の声は、それでも相当なレベルなのでしょうけど、チケット代もお客さんの期待レベルもケタ違い、プレッシャーは何ケタも違いそう。
少なくとも高音の恐怖というのは、人前で歌おうとするすべての人に平等に与えられた賜物のようです。