オンラインサロン的な小さな場で、30分ほど話をする機会がありました。

長年ついているコーチングのコーチが主宰していて、参加者が自由に発表できる場があるのです。何か話してみたくて、テーマと内容をコーチに相談しました。

 

2つ案を伝えると、コーチは、

 

「本当にその話をしたいですか?」


もちろんそのテーマもいいんだけど、何を話してもいい場なのだから、自分が心から語りたいと思うことがいいのではないか、と。つまり、そうは見えなかったのでしょう。

 

確かに、話したいというより、人から聞きたいと言われたことがあることを挙げました。その方が、聞く人にとっていいかなと。

 

他のメンバーは、プレゼンする人もいるし、ある人は、自分の特別な経験をただ話したいと、特に結論やメッセージもなく語り、それも好評だったとのこと。

 

「前にかおりさんが食事会で、〇〇の話を熱く語ってたのがすごくいいなと思った。あんな感じですよ」

 

〇○とは、実は「ベルばら」ですが笑 

たまたま共通の関心を持つ人がいて、嬉しくて熱く語ったことがありました。マニアックなことを嬉々として語るのを聞いていて、コーチは楽しかったそうです。

 

(気持ちの上ではこんな感じで話をしたと思ってください。ChatGPT作)

 

コーチに相談した日は、先週の滋賀旅行の前夜。

「それならちょうど明日、滋賀にアールブリュットの作品を観に行きます。アールブリュットなら語りたいことがあるので、報告がてら、そのテーマにしてみます」

 

そして翌日は滋賀で、すごい作品を観てはエキサイトして、いろんなことを感じ、考え、帰ったらあれも話したい、これもシェアしようと思うと、よけいに楽しかった。

帰宅した翌日の夜、早速話をしました。言葉が熟してなくてもどかしさもありましたが、興奮のままに話すのは嬉しいことでした。

 

今回のことで、ふだん話すのを遠慮してることが結構あるなと気がつきました。


こんな話は誰も興味ないだろう、この場にふさわしくないだろう、これ以上は話し過ぎだから控えておこう、と胸に溜めてること。

 

それは大人の態度のようであり、相手を信用してないようでもあり、怖がってるようでもあり。

 

好きなことを語るというのは、大きな喜びです。その感覚を思い出しました。

それは聴く側や読み手に配慮しないということとは、まったく別ですね。

このブログも好き勝手書いてますが、もっと自由に書こうと思います。