この2日、滋賀でアールブリュットの作品を観てきたことを書きました。
わたしにとってアールブリュットといえばはずせないのが、ヘンリー・ダーガー。おそらく、この分野に関心をもったきっかけは、彼だと思う。ということで、語らずにいられません。
ということで2時間くらいかけて書いたのだが、ネットの接続が切れて全部消えた。でも、執念でまた書く。
ヘンリー・ダーガーは、1892年シカゴ生まれ。1973年に81歳で亡くなった。
ひとり暮らしだった彼の部屋を大家が片付けに入ったとき、大量のゴミのなかに発見したのが、1万5000ページ以上におよぶタイプ原稿と、300枚の大きな挿絵からなる壮大な物語だった。
それが、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』、通称『非現実の王国で』。
ウィキペディアの説明を借用すると、物語は「『グランデリニア』とよばれる子供奴隷制を持つ軍事国家と、『アビエニア』とよばれるカトリック国家との戦争を、従軍記者であるダーガーの視点で描いた架空戦記」。
中身は異様と言って差し支えないかと思う。長さも異様なら、幼児趣味的で残虐シーンの多い絵柄も不気味な部類かと。わたしは結構好きです。
背景を知らなくても十二分にインパクトがある作品だが、彼について知るほどに、強烈に迫ってくるものがある。
ダーガーは幼くして両親を亡くしている。孤児院ですごした後、障害児の養護施設に入る。15歳で脱出し、それ以降は主にいくつかの病院の掃除人をしてひとり暮らしを通した。
人付き合いがほとんどなく、おそらく身なりも相当ひどかったのだろう、周囲の評判はよくなさそう。ゴミ箱を漁る姿もよく見られた。
そんな彼は19歳から執筆をはじめ、60年にわたって誰にも知られることなく、物語を描き続けていた。
彼がごみ箱で探していたのは、物語を描く資料にするための、雑誌などだったのだ。
生前彼は大家に、自分が死んだら部屋のものは全て処分してくれ、と話していたらしい。
どうも、人に見せるためではなく、彼にとってはもうひとつの現実を創っていたのではないか、と思われる。
天才ゆえに孤独の道を歩んだのか、それほどの孤独がもうひとつの現実を創らせたのか、わからないけれど。でも、状況的には後者なのか。
たとえ人が彼の生前に絵を1枚見たとして、どんな反応をしただろう。構想を出版社に話したらどんな扱いを受けたか。「たら・れば」だけど、気色悪いおじさん、で終わってなかったか。彼が評価されるには、孤独に描き続ける60年間が必要だった。
彼はそれをやり遂げた。
壮絶さと天才さとに、心を揺さぶられてしまうのだ。
ドキュメンタリー映画にもなっていて、その予告編がこちら↓