漫然と見る。漫然と読む。漫然と過ごす。それが常態化した毎日に、感性を磨きたいと思って本書を手に取った。

 

本の帯に、「他人の好みは気にするな 勝手に見やがれ!」とある。
それにしては「映画とはこうでなくてはならぬ」「これが正しい見方だ」という「べき論」に満ちていた。

蓮實重彥さんといえば、映画評論の権威である。

しかしわたしは映画を見まくっていたにも関わらず、彼の批評を読めたためしがなく、もっぱら映画の宣伝に引用された高尚な?言葉でのみ認識してきたにすぎません。

 

この本はさすがに新書らしく、非常にわかりやすい。

どの作品、どの監督、どの映画人が良くて、どれが駄目で、何がどうあるべきと考えているか、ずばずばと述べられている。独断としか読めない点も多々あったのだが、彼の権威と言い切りにより、わからない方がおかしいような気にさせられる。

 

 

そもそも取り上げられている作品の多くを観てないので、言える資格もないが。

千本以上の映画を観てても、他人が挙げる100本の作品のほとんどを観てなかったりするのだから、いったい世の中に映画は何本あるのだろう。

 

氏は「新書だけは書くまい」と思い続けていて、だからこの本も氏の執筆ではなく、質問への回答を編集側がまとめたらしい。

あとがきではその出来には触れず、「もう二度と新書を書くまい」と締めくくっている。それがこの本に対する氏の感想だろうか。

 

 

この新書のみからの印象に過ぎないが、彼は幸せそうに見える。

これだけ自説を絶対的に信じられる幸せ。それを公言し、権威として認められる幸せ。なによりこれほど激しい情熱を持つ幸せ。

 

好き嫌いだけでなく、良い映画、出来の悪い映画、は存在すると思う。

わたしなどは好き嫌いは映画に関しては誰はばかることなく言えるが、良し悪しを言うのは怖い。間違っていたらどうしよう、誰かに論破されて恥をかかされたらどうしよう、と思うからだ。

それを自信もって言えるには、すごいことだと思う。

 

アンチや無理解との闘いは激しかったかもしれないが、そこまでの情熱を注ぐ対象があるというのは、幸せじゃないだろうか。

 

この本を読んでよかったと思う点は、映画を観るのも本気であろうと思えたことだ。

特に家で観るとつい、ヒマつぶし、SNSのダラ見の延長、になってしまう。そういう時間の使い方自体がもったいない。

すべてに本気になってたら体力がもたないが、本気じゃない時は空でも見ていた方がいいのだ。暇つぶしの映画より。

 

 

『見るレッスン 映画史特別講義 』蓮實 重彥 著

光文社新書、 2020/12/15