アルバニア2日目。
宿を出て少し歩くと、小さな廃駅を発見。古い車両が停まったままだ。どうやら終着駅だったらしく、線路はここで終わっている。

近づくと、廃車のなかに何かあるのがわかった。よく見ると、人だ。よーく見ると、どうも乗客らしい。つまりこの列車は現役だったのだ。

 

廃駅だと思ったのは、古くてボロいからだけではない。
まったく活気がないのだ。生気がないと言ったらいいだろうか。
このまま冥界に吸い込まれていきそうで、これは乗りたくない、かんべんしてくれ、と、そそくさとその場を離れた。

首都の中心地もこじんまりしていたが、明るいなかで見ればそれなりに街である。オスマントルコの支配が長かったことから、ヨーロッパよりはトルコに近い街並み。

この日は、カイロの旅ノートに観光名所として紹介されていた、湖を見に行くことにした。
超簡単な手書きの地図を頼りに歩いていると、大きな団地にさしかかった。人がそこそこ歩いている。

こわかった。

なにが、と説明することができない。

建物は古くてぼろいが廃墟のようなぼろさではない。いかにもガラの悪い人たちがいるわけでも、にらみつけられているわけでもない。なのにどこか殺気立った空気があり、襲いかかられそうで身構えてしまう。

とはいえ、なにごともなく通り抜け、湖に到着した。

 

 

アルバニアで撮った唯一の写真。
湖は美しかった。どことなく荒れた雰囲気はあったが、自然はやはりいい。ただ、これが首都の観光名所か…とは思った。旅ノートを書いた人が情報通でなかっただけかもしれない。

湖を出ると、あまり街を歩き回りたい気持ちにもなれず、早めに宿に戻った気がする。
 

ほかにこの国のことで覚えているのは、地元のハンバーガー店が安くてボリューム満点でおいしかったこと、飲食店では、午前中から中高年の男性がお酒を飲んでいるのが目についたこと、くらい。


アルバニアは当時もいまもヨーロッパ最貧国のひとつだ。貧しくて大変なのだろうとは想像できたが、滞在中は、なぜこんなに恐いと感じるのか、どこに不穏さがあるのか、どうにもわからなかった。

帰国して3ヵ月後くらいに国ぐるみのネズミ講が破綻して大暴動が発生したニュースを見て、そうか、あの頃はすでに破綻が迫っていたんだ、その荒んだ空気だったのか、と合点がいった。

暴動の時、日本人もたしかドイツの軍用機かなにかで脱出していた。
訪問がもう少し遅かったら、わたしもあの軍用機で脱出して、ニュースに出ていただろうか、なんて思ったものだった。

YouTubeで1年前のアルバニア旅行の様子を見たら、建設ラッシュですっかり開発が進んでいた。不穏な空気もない。よかったよかった。
 

アルバニアの編、これでおしまい。

 

<おまけ>

お気に入りのチャンネル、しげ旅さんのアルバニア旅行編。