自分の思考グセを現行犯タイホするのは難しい。
わたしの場合、そのひとつが「ゼロヒャク思考」だ。
他人のことだと、「それだよ、今あなたが言ったそれがゼロヒャク思考の表れだよ!」とわかるのだが。

今年に入り、思いがけず忙しくなった。3つのことを同時にすることになったからだ。
そのうちひとつは、自分で決めた新しい勉強。それを決めた後に、残りの2つ、ひとつはチャンス、ひとつはピンチがやってきた。

それで若干寝不足とドカ食いがあって、よけいにエネルギーを消耗するという悪循環です。体力がなさすぎる。

「なにか手放すしかないんじゃないですか?」

なんとなくその話を人にしたら、こう静かに問いかけられた。


(本文と関係ない。ベルギーの車窓から)


まず激しい抵抗を感じた。
3つとも、手放すなんて考えられない。理由はたくさんある。

なんでそんなことを言うのか? 体力をつけたいというのが悩みなのに。どれかあきらめろとは。

一瞬怒りも湧きかけた。
ぐっと抑えて相手に視線を戻すと、その表情は静かだった。決めつけるでもなく、ただ問うて、こちらの逡巡が終わるのを見守っていた。

ニュートラルなその視線を受けて、気持ちが落ち着いた。そこで気づいた。確かにそうなのだ。それに、3つのうちのどれかをゼロにするしかない、と言われたわけではない。ゼロかヒャクで考えていたのは自分だった。

 

そしたら、その3つ以外で優先度の低いことがいくつも浮かんできた。早速手放すことにする。それでも足りなければ、また考える。

その3つでさえ、全部を同時にヒャクの力でやらなくてもいいかもしれない。力の出し加減をずらすことはできそうだ。

完璧主義やゼロヒャク思考を持っていることは自覚している。のだが、一時期、鬼の首を取ったように指摘される(ように感じる)ことが続いて、すっかりうんざりしてしまった。それで条件反射で抵抗してしまうようだ。

気づきは2つ。
「ない」と決めつけなければ、手放せることは「ある」、ということ。
シンプルに、ニュートラルに「問いを立てる」ことの大切さ。あの視線があったから、手放すと決められた。