今さらながら、佐藤しのぶさん、こんな素晴らしい歌い手だったとは!
もちろん存在は知ってましたが、なぜか歌声に記憶がありません。
たまたま佐藤さんの本を読んで人柄に惹かれ、YouTubeで歌を聴いてみたら、それはそれは素晴らしくて、たまげました。
読んだのは『出逢いのハーモニー』と『至福の時は「オペラ人」 ゲスト佐藤しのぶ』の2冊。
1995年の『神よ、平和を与えたまえ』(ヴェルディ)。当時30代半ばでしょうか。言葉になりません。なんて美しい。なんて迫力でしょう。
口が軟体動物のようになめらかに自在に動いて、うっとりしてしまう(わたしは顎関節症があるので、カクカクしてしまうのです)。
ご本人は、自分は天才ではない、学生時代は歌がへたな方だった、と言いつのりますが、デビューから主役。当時の写真を見ると華やかで強いオーラがあり、主役以外の何物でもありません。プリマドンナというのは生まれながらにしてプリマなのでしょうか。それでもその宿命を成就させたのは、並外れた努力でした。
「一度でいいから、イメージ通りに美しく歌ってみたい」
そのために、素直に愚直にどんな努力も惜しまなかった。歌のためにすべてを捧げてこられた。そのことを犠牲ととらえたり、他人に承認を求めるようなところが全然ないんですね。食べるものや運動、体型の整え方などもすべて歌を第一に選択し、アスリートのようなストイックさも印象的でした。
紅白歌合戦にも出場して、あっという間に国民的人気に。
「一日にして有名になるけれど、一日にして上手くはならない」
紅白歌合戦に出場した後に、そう実感した。
「歌手というのは残酷な商売である。三流の歌い手はやっぱり三流。舞台に立って声を出せば、上手いかヘタかはすぐに明らかになってしまう。」
世界中が期待と注目を寄せる中で、「今日はあの高音が出るだろうか」と不安を抱えながらステージに立つ。
以前読んだアメリカ大人気のソプラノ歌手、ルネ・フレミングの著書にも、同じような言葉がありました。理想に達しない自分を本番でさらけ出していくしか、理想に近づく道はないんだと。
1990年上演の「椿姫」(ヴェルディ)。全編が見れるなんてうれしい。30歳くらいかな。華やかですねえ。まさに主役。
もうひとつ印象深かったのは、自ら心地よい環境を捨てたこと。デビュー直後から神輿に載せられて周りがなんでもやってくれる環境。反面、周囲から求められた音楽しかできない閉塞感。それに違和感を覚えて独立。飛行機のチケットの手配もろくにできなくて癇癪を起こしつつも、自立したことで人間としてさらに成長した。
おだやかに見えて、芯の強さは相当だと感じます。
対談では彼女の素直さ、謙虚さ、賢さ、知性、そしてかわいらしさがより伝わってきます。並みいる著名人が世界のプリマを前にメロメロ。
「歌い手は自分自身が楽器ですから、生きていることが歌うことに直結しています。ですから、より豊かな歌を歌うためにも、より豊かな生き方をしていかなければと思います」
どこまで純粋なのか。
惜しくも2019年、61歳という若さで亡くなりました。今生の使命を終えられたのなら、しかたありません。歌声が残されたことに感謝して、聴き続けましょう。