ゆうこです。


長く離れていたブログに

帰ってきました。



ミャンマーのクーデターのことを書いてから

なんか書けなくなりました。


ミャンマー民主化関連のことを

書かかないといけないような気がしてね。



でも

そういう情報を発信しているところは

探せばあるだろうし


へんてこな責任感のようなもので

自分をしばって

勝手に苦しくなるの

やめました。



夫がミャンマー人で

長らく住んでいたこともあって

私の人生にたくさん入り込んでいるけども



私を表現する点のようなものなので

書くこともあるし

書かないこともあるで

よし!とします。





はぁ♡モネが好きよ



今回は寄付について。



クーデターのあと

定期的にミャンマーに寄付をしています。


近いところで

7月に1回、8月に1回。



これは夫の希望で


私としては

すごくわっさわさすることなのです。


えっ、また?!

が正直なところ。




寄付に関して

感覚が違っていて


仏教ベースの頭の持ち主の彼は

あっても なくても

せずにいられないもの


私は

あればやってもいいし、

なければやらないもの。



ミャンマーにいたとき

ガソリン代として

お金を渡していたのに


道中、坊さんだか乞食にあって

ほぼ渡し、

呆れたこともあります。


「車止まったら困るでしょ」

と言うと、

「俺には素通りは無理。

 あきらめて。」

と言われました。




寄付をするとなると

最初は怒りにも近い感情が出てきました。


それをよく見ると

・そのお金他に回せるじゃん

・子どもたちと美味しいの食べるでもいいし

・自分がほしいのも買えるのに

と出てきました。



当然のようでもあり、

がめつくもあります。


私が送金するのに

私の〜、行くの〜、できれば行かないで〜

って握りしめてる感じ笑い泣き



何度も経験するうちに

気付くようになり



現在は

寄付できるなんて豊かじゃない?


自分の生活が困るわけでもないし

むしろ

リッチな気持ちまで感じている



コロナで酸素供給が足りなくて

前回分はマンダレーでの酸素ボンベの購入に

あてられたと聞いて

ほっとゆるむ感じ、

良かったな、少しでも役に立ててと思います。




寄付を

税金がらみでみたり

お金は出したら入ってくるようなスピがらみでみたり

功徳を積むがらみでみることもできます。



私にとっては


寄付を通してみる

自分の気持ちの変化に気付けたことが

何よりの学びです。



寄付先よりも

自分のためになるし


昔はなんであんなに

むかついていたのか


今はできれば

もっと寄付できる存在になれたら

いいなと思います。