こんにちは。
日本のサラリーマンをカラフルにする
気功師・小笠原正和です。



ゾゾタウンが無料で配布するという


採寸ボディースーツ!


今、一番興味あります。


これから、インスタでモジモジ君アップする人増えそうな予感?



では、

今回のテーマはこちら。



『正しさについて』



私の名前に「正」がついているので、


正しくありたいとか、

 

正しさを自分のよりどころに


することがあるのですが、

この正しいという概念が時には、

 

人と争うきっかけになったり、


正義という名の暴力になってしまったりして、


とても難儀なものに感じたりします。

 

 

 





尹 雄大(ユン・ウンデ)さんの著書


『やわらかな言葉と体のレッスン』の中で、

 

この正しさについてとても共感する


部分があったので、ご紹介します。



『それでも僕らは正しいことや確実さが大好きです。


指定された時間通りに来ない宅急便は

 

クレームの対象だし、


行政だろうが医療だろうが、

 

ワンストップサービスが合理的である以上、

 

それを要求するのを疑いもしない。


この世の出来事は想定した通り、


確実に行われなくてはならない。


なぜならすべての事柄には確定した根拠

 

があるのだから、


それに基づく言動こそが正しい。


だから正しさを求める際に、


何事につけ「根拠は?」

 

と尋ねる流儀が知的で正しい振る舞い


だとみなされてしますわけです。


それで論難すれば、

 

相手の主張を掘り崩せると思えるのです。』



うーん、思い当たる節が多々あります・・・。



けど、ウンさんは問います。



『この発想の根底には、


まず

 

 


「私にとってそれはどうなのか?」

 

 


という己の体、


感覚への問いかけがありません。

たとえば料理を味わうのに正しい調理の手順、


正しいテーブルマナーを求め、


食材やマナーの由来を知り、


他人の知識と引き比べて、


どちらが正しいか争っても、


それは美味しいかどうかを知ることとは


まったく関係がありません。

 


食べてみて味わう。

 


このたった一つの体による行いがなければ、


何も始まらない。


そして、わかるのは

 

 

「私にとってどうであったか」

 


ここには正しいも間違いもありません。』



そうなんです!


建前とか、誰かが決めたルールに則っているか


では無く、


自分にとってどうなのか


が大切なんです。



だって、

 

それって他人が勝手に決めた正しさだったりする訳でしょ?


常に自分の外側や過去の事例に正解や基準があり、


それを知り、

 

合わせれば成功が得られるという、思い込み。

 


およそ教育と名のつくものはすべて、


自分の外にある基準に合わせることを

 

正しいとしています。


そして、

 

私はそうした正しさにかなうよう、


自分を整えてきました。


正しさは外にあるという大いなる幻想・・・。


社会や環境など自分のまわりの限定的な

 

ものの影響を受け


やがて何かを信じ、

 

正しいと思うようになる。


そして、信じた言葉や習慣の方が、


いま生きている自分よりも大事になる。



ユンさんは続けます。



『原点に立ち返って考えてみますと、


「正」とは「ちょうどそうである」

 

という意味です。


概念の寸法に合わせて生きる必要はまったくない。

 

 


心臓は正しく動くこともないし、

 

 


風は正しく吹くこともない。

 

 


けれども、それらは、

 

 


「ちょうどそのとおり」になっている。

 

 


人は概念の外に生きています。』



誰かが昔にこしらえたルールや


概念としての正しさに無邪気に従うのではなく、


ちょうどその通りであることを、


自ら身体に問い、


こころで感じ、


生きていく。



常にそうありたいと、

 

 

正和は思うのです。