どうも、キミです。
本日、図書館である本を借りてきました。
「絵を右脳で描く」
前々から絵を描けるようになりたいなー、と思っていまして、
それで以前読んだ「ハイコンセプト」という本に描いてあった本を
読んでみようかと。
……ま、その本に書いてあったの
「脳の右側で描け」
だったって、今気づいたんですけどね……。
ところで、僕は一時期右脳信仰者だったんですよね。
ほら、右脳は「氷山の一角」だとか、「驚異的な脳力が!」だとか、
よく言われてたじゃないですか。
物事を一瞬で大量に記憶したり、脳力が向上して
すごい能力を手に入れられる、みたいな。
今日はその左脳と右脳の話です。
論理的な「左脳」。
感情的な「右脳」。
という話は、非常に有名ですよね。
確かに、「左脳」は分析する力に長けてますし、
筋道を論理的に立てて考えることができます。
たいして、「右脳」は全体像を把握し、
芸術的で瞬時に同時並行で処理することができます。
左脳を「理性の脳」、右脳を「本能の脳」って言ったりもしますよね。
んで、人間は脳の98%だか97%だかしか普段使ってない、と。
特に現代人は「論理的で理性的な左脳」ばかりを使っていると。
しかし、眠っている右脳を目覚めさせることができれば、
大量の情報を瞬時に、しかも長期間、
あるいは一生記憶にとどめておくことが可能、と。
いやー、僕も中高と、この「右脳の力」を盲信して、
右脳を開花させるためのトレーニングとか良くやりました。
右脳は「イメージ」を大事にするので、そのイメージを見るトレーニングとか。
「右脳が開花したらテストなんか余裕だしww」
とテスト近くになったら、そればっかりやってたりネ。
まあ、そんなんだから、テストの結果は察してください、
と思わず言ってしまうわけで。
つまり、右脳だけを究めようとしたって、愚かな未来しかないわけです。
そもそも人間には、前述の通り、「右脳」と「左脳」があるわけです。
「じゃあ、なんで二つの脳があるのか?」
という疑問に答えるとするなら、
「それぞれの役割が違うから」
というのが答えなんですよね。
例えば、左脳は、現実の状況を論理的に把握します。
ちょっと想像してみてください。
あなたと友人がレストランでご飯を食べている時、
テロリストが突如襲ってきました。
彼らは皆、手に銃器を持って、レストランの客を威嚇します。
その内の一丁の銃口が、あなたに銃口を向けられました。
この時、あなたの脳内では、
「テロリストが入って来た」
↓
「手に銃を持っている」
↓
「撃たれたら危険」
↓
「最悪死亡だ」
みたいに、論理立てて現状を把握するわけです。
対して、右脳はこの時、全体像を大量に処理します。
「店の雰囲気が変わった」
「店員が怯えてる」
「他の客が悲鳴を上げた」
「友達の顔が恐怖に歪んでる」
みたいな感じに、瞬時に全体像をつかみます。
そして、その結果、僕らは「奴らは危険だ」と判断するわけですね。
別の例を挙げれば、例えば以下の文を読んでみてください。
学園祭の準備をしてるA君とBさん。
BさんがA君に材料の買い出しを頼み、
A君もそれを了承するもいつまでも買い出しに行かない。
痺れを切らしたBさんがA君に言います。
「私がもう買いに言ってくるよ」
という文章。
A君の左脳はこのとき、
「Bさんが代わりに材料を雑貨店で買ってくる」
というのを理解します。
対して、右脳はこのとき、
「相手がひどく怒っている」
と言うのを理解するんですね。
以上のことから、脳は二つある必要があるわけです。
だから、どちらか一方を鍛えるなんてナンセンス。
どちらか一方を盲信するのはもっとナンセンスなんですよ。
右脳と左脳は二つあって初めて、力を発揮するわけですね。
と言うわけで。
右脳だけを盲信していた過去の自分へ。
「右脳鍛える前に勉強しろ!
そんなんだから『Oh 脳!』な結果になるんだよ!」
お後がよろしいようで。
全然よろしくないですな…。
