こんばんは。

いつもありがとうございます。

神戸です。

 

どうしても

「自分なんて…」という気持ちから

離れられない。

 

そう思ったことはありませんか。

 

 

  1. 自己愛とは

 

「自分なんて…」と思うのは、

自分に自信がない状態。

 

自分への愛がたりていないと

いえます。

 

自己愛が最初に形成されるのは

幼少期です。

 

幼少期に親の愛で満たされ、

親に絶対的な信頼があったら

自己愛の塊のような子どもに

育つことでしょう。

 

この、親の愛の定義が

難しいのです。

 

なぜなら、親が子どもに与える愛と、

子どもがほしい愛の形が違うから。

 

例えば、

親は子どもが集団生活で困らないように、

幼稚園の門の前で「お母さん」と

子どもが泣きわめいていても

 

子どもを幼稚園の先生に預けて

帰ることでしょう。

 

親はそれを愛だと思うかもしれません。

 

でも、子どもは親と一緒に

いたいのです。

 

親においていかれた。

ほしい愛がもらえなかったと思い、

親への信頼が薄れていきます。

 

このように与える愛の形と

ほしい愛の形が異なり、

幼少期に自己愛が育っていないことも

あるのです。

 

 

  2. 大人になってから自己愛は育める?

 

自分を愛することができず、

どうせ私なんてダメだから…。

そう思い、自分を犠牲にしながら

生きていると、

なかなか幸せをつかむことはできません。

 

ではどうすればいいのでしょうか。

 

自分で自分に愛を注げば

いいのです。

 

その方法は、今、この一瞬を味わうこと。

 

例えば、ご飯を食べている時、

テレビを見ながらとか

スマホを見ながら食べていませんか?

 

何を食べているのかもあまり考えず、

食べなきゃいけないから食べる。

 

ほぼ無意識にお箸を動かし、

口をもごもごしてひとまず食べる。

 

これでは、もったいないです。

 

食べるという行為で、

自分に愛を注ぐことができます。

 

「このにんじんを食べると元気になるね」

 

「少し甘味があって美味しいね。

 健康的な野菜がたくさんとれてよかったね」

 

など、自分の健康を思いながら

食事をしていることを味わうのです。

 

食べ物を味わい、

食べるという行為そのものも味わう。

 

そうすることで、自分を愛していることを

再確認できます。

 

 

  3. 清めることを意識する

 

手を洗ったり、お風呂に入ったり。

手を洗うのは何のためですか?

 

食べ物を食べる時に、

バイキンが入らないように

手を綺麗にしますよね。

 

それは、自分を慈しむ行動。

 

お風呂に入るのは、

体を清めるだけではなく、

疲れをとったり、血流をよくしたり、

自分を慈しむ行動ですよね。

 

これをすることで、

自分を慈しんでいるんだ、

ということを意識しながら行動すると、

自分に対する愛が自覚できます。

 

私は自分をこれほど愛しているんだ。

 

そう自覚できるようになると、

他の人にも愛を注げるようになります。

 

そして、人からもらっている愛にも

気がつくようになります。

日々の行動を無意識に終わらせず、

「今、私は自分に対して

 このような良いことをしていて

 自分を慈しんでいるんだ」

そう自覚するだけで、

愛を思い出すことができます。

 

自分の周りは愛がいっぱいなこに気づき、

幸せが引き寄せられてきますよ。

 

傾聴の学校はこちらから

ご登録ください。

 

  

本日もお読みいただき

ありがとうございました。

 

神戸正博公式LINEにご登録してください

 

神戸の考え方や

最新の研究に興味がある方に

向けて発信しています。

 

神戸のライブ配信のお知らせや

最近の動向を共有しています。

 

line_btn