滋賀県・湖北に仏像が多い理由
観音信仰と白山信仰が盛んであった。
②戦国時代の舞台となった場所で次へ攻め入る為の城を築き本陣を置いた。
勝てば戦利品として人々の心の拠り所である仏像を取って帰った。
天台宗・真盛派
知善院(室生山 ・勝安寺)
ご本尊・阿弥陀如来
重要文化財・十一面観世音菩薩(鎌倉時代)
長浜城の搦手門(からめてもん)を移したという山門
戦国大名・浅井氏の城下にあったが、秀吉が長浜城を築いた際に 北東、鬼門の守りとした。
姫路市円教寺に安置されていたものを秀吉の弟の小一郎秀長が寄進した。
本堂に祀られている豊臣秀吉の木像は、大坂落城の時に持ち出されたもので、徳川軍から目を付けられたが、恵比寿像だと主張した。
観音堂・十一面観世音菩薩(重要文化財)
鎌倉時代の慶派作
寄木造り・彩色像
玉眼(水晶の裏から和紙をあて格段と人間らしく見え慈悲の心を届ける。)
半眼深く3/4閉じている。
特徴 : 頭の化仏が小さめで、もとどりの上に如来(髪の毛の上に顔)がある。
座像なうえに、右手の肘が浮いている。
女性を意識した柔らかく柔軟で色気のある造り。
十一面観音像は、本堂から廊下でつながる観音堂(江戸中期の建物)に安置される。