北向山 雨宝院(ほっこうざん・うほういん)
高野山真言宗のお寺です。
御本尊は「西陣聖天十一面観世音菩薩」(大聖歓喜天だいしょうかんぎてん 聖天尊)
本尊聖天(歓喜天)像は、像頭人身六臂の等身像で、弘法大師が(平安時代821年)嵯峨天皇の御病平癒祈願に一刀三礼して造られたものと伝えられてい
密教伝来とともに日本に渡り、平安時代、貴族の間では、厄除・富貴を祈願する聖天供(しょうてんぐ)という修法が行われていた。
天皇の等身大とされ秘仏のため「歓喜童子像」が御前立になる。
本尊脇には「雨宝童子」が祀られ、聖天尊の化現とされる。
雨宝院の名の由来にもなった「雨宝」とは法雨、雨が宝のように降るという意味で大荒神経に因る。「五秘密像」も安置されている。
大師堂に「弘法大師像」空海の42歳の姿で、南を向き口を開いて「阿吽汗かきの大師」と呼ばれている。
※汗をかくようなことでも、必ず衆生を救済する意味とされた。東寺にも同様の大師像が北を向き安置されていたという。
象徴である大根は蘿蔔根(らふくこん)やや細くて辛味が強い。
大根の白色は息災を意味し、体内の毒や煩悩を消す作用があるとされている。
巾着袋は砂金袋で御利益が大きいことを表しているそうです。
観音堂には、長い間秘仏であった平安時代初期作の木造乾漆物像「千手観音立像」(重要文化財)を安置されています。
詳細が不明の為に国宝にならないそうです。
(パンフレットより)
42本あったとされる手は10本のみ残っています。
衣のドレープが流れていて腿にぴったりと沿って見られます。脇から見ると違って見えます
一本造りの為に横から拝見すると腰のあたりがどっしりとしとした極太感のあるお姿でした。
他に42本の手を持つ千手観音は、京都三十三間堂の千手観音坐像(湛慶作)・東大寺四月堂(三昧堂)の千手観音立像です。
雨宝院の千手観音像の小さな十の顔は「化仏(けぶつ)」といい、3面が平安時代の作で、後は江戸時代の後補だそうです。
奈良・薬師寺の薬師如来・日光・月光菩薩像と似ていると伺いました。
奈良からの遷都からまもない時期の像で、この千手観音像の作者は南都奈良の仏像を模範にしたのでは ... と言われています。
奈良の聖林寺・国宝十一面観音像のお話しがあり気になりましたので探してみました。
雨宝院は他にも不動堂に迫力ある大聖不動明王 、庚申堂にリアルな大黒天、大青面金剛 、釈迦如来、地蔵菩薩 、北斗妙見大菩薩など仏像も多く置かれていました。
御朱印は千手観音様