京都・西陣 ② | azukiのブログ

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西陣は愛称で呼ぶ通称寺が多いそうです。

※西陣は平安時代794年:桓武天(かんむてんのう)が長岡京に都を移した時には野っ原だったそうです。







応仁の乱(1467〜1477)で公家や寺社の荘園が没収され戦乱の影響を受ける。

戦火で京都の寺社や公家・武家邸の大半が消失し、歴史的資料の多くが失われた。







①般舟院は(はんじゅういん)は上京区にあった天台宗の寺院。般舟三昧院とも称する。



応仁の乱の後、後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の発願により恵徳上人を開山として伏見(京都区伏見)指月山に建立、勅願寺(ちょくがんじ)とされた。

しかし、(1594年)豊臣秀吉による伏見城の築城工事に伴って、西陣に移転した。

江戸時代には禁裏道場として御所直属天台宗・真言宗・律宗・禅宗の四宗兼学の道場として栄えた。

東山の泉涌寺(せんにゅうじ)とともに皇室の香華院(菩提寺)であった。「御黒戸四箇院のひとつ⇨宮中の仏事を司り仏殿を守った。)尊牌は泉涌寺霊明殿に移されて安置されることとなった。」

般舟院は広大な広さを誇っていたが明治維新後の神仏分離令に伴い衰微した。




般舟院 跡地(現在の嘉楽中学校)

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般舟院の遺物として1783年建立の正門と講堂が残っていたが、1923年に発生した関東大震災により大破した鎌倉の建長寺からの要請で寄付するこことなる。(1943年に移築された。)

重要文化財指定の仏像2体「木造阿弥陀如来坐像・木造不動明王坐像(像に光をあてると火焔光により背後に龍の形が顕れるという。檜の寄木造、漆箔) も京都市内の他の寺院に保管されている。




②上善寺(じょうぜんじ)
天台宗盛宗(863年)慈恵により創建。多くの塔頭を擁したが度重なる火災にあう。

京都市上京区今出川通千本西入南上善寺町
本尊 : 阿弥陀如来。

大師堂に祀られる大黒天像は慈恵及び最澄の作と伝えられる。
(甲子の日は大師堂が開いているそうです。)

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(1483)盛信が中興の祖として再興している。(1566)柏原天皇の勅願所となり(1594)鞍馬口へ移転する 「六地蔵の上善寺」(浄土宗)として現存。
その後、現在地に荒廃した旧地に元上善寺として再建された。

天台宗眞盛派 はとても珍しいのだとか。

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③ 浄土宗浄土院(天台宗)
御本尊 : 阿弥陀如来

通称名「湯沢山ち茶くれん寺」 (ゆだくさん ちゃくれん寺)

※1587年秀吉が北野大茶会に向かう途中当院に立ち寄りお茶を所望されましたた。住職は世に知られた茶人でもある秀吉に自分の未熟なお茶を出すのは失礼でもあり、恥ずかしいことであると考え、それならばお寺に湧き出る香しい銀水をそのまま味わっていただこうとの想いより、沸かしただけの白湯を出し続けたといいます。
秀吉は「この寺では、お茶を頼んでいるのに白湯ばかり出して、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん。」と言ったことから『湯たく山茶くれん寺』と呼ばれるようになったのだそうです。


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屋根の像は安土桃山時代の陶工・初代☆長次郎の作と伝えられています。



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※寒山と拾得(かんざん と、じっとく)

中国唐の伝説上の詩僧・高僧。ふたりは奇行が多いが詩人として有名。

寒山は、「寒山子詩」の作者とされています。

寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来と呼ばれ、師の豊干禅師を釈迦如来に見立て併せて「三聖」あるいは「三隠」と呼ぶ。

彼らの生き方に憧れる禅僧や文人によって禅画の題材としてよく用いられ、東京国立博物館には、伝顔輝作の『寒山拾得図』が所蔵されています。



本堂の正面から見て左側のほうきに乗っているのが拾得像です。
右側に配されているのが寒山像で右手に巻物を持っています。








④正式名称 : 瑞雲院(ずいうんいん)
通称名 : 百石さん(ひゃっこくさん)
浄土宗鎮西派知恩院の末寺
御本尊 : 阿弥陀如来(有髪の御稚児さんの如来)

三宝荒神( 火伏せの神様・おくどさん)


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⑤石像寺(しゃくぞうじ  )釘抜き地蔵
正しくは光明遍照院石像寺という浄土宗の寺院。
819年に弘法大師 によって創建されたお寺。




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遣唐使として唐に渡った弘法大師は、日本へ帰国の際に石を持ち帰りました。
その石に地蔵菩薩を自ら彫り人々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様⇨「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれるようになり、その後「くぬき」⇨「くぎぬき」の名で知られるようになりました。



※室町時代に両手の痛みに悩まされていた大商人は、苦しみを抜いてくれると評判の お地蔵様に7日間願掛けに訪れました。
最後の夜、夢の中にお地蔵様が現れ、「この痛みは、お前が前世でわら人形に釘を打ち人をのろったむくいだ」と手の中に刺さっていた恨みの釘を抜き 2本の釘を見せました。
目覚めると両手の痛みが治まっていたので、不思議に思った商人は急いで石像寺に行きました。
すると、地蔵像の前に血のついた2本の釘が!それは夢の中でお地蔵様が抜いてくれた釘です。

大商人はお地蔵様に感謝し、100日間お礼参りをしました。その時から人々から「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったのです。

願いが叶うと2本の八寸釘と釘抜を貼り付けた絵馬を奉納する習わしとなりました。
本堂の壁前面に約1000枚の絵馬並んでおり、そのご利益のほどが伺えます。



本堂の裏手には鎌倉時代の石像弥陀三尊像と両脇には観音菩薩様・勢至菩薩様と、向かって右側に立つ石造弥勒菩薩立像がある。(文化財指定は2010年)

一つの石から掘り出した石仏としては日本最古のものといわれる美しい石像です。(重要文化財)





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お天気が良くて 晴れ 提灯の色が反射してどうしても赤く映ってしまいます。



境内には、弘法大師三井(さんせい)の一つという加持水(かじすい)がある。手水舎も井戸です。

独鈷杵(どっこしょ)や宝珠(ほうじゅ)が置かれていました。


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