涅槃会図の復習記録。
「涅槃」とは、修行を積んで迷いを断ち切り悟りに到達した最高の境地をいいます。
サンスクリット語の「ニルバーナ」
また「涅槃に入る」とは、お釈迦様がおなくなりになったことを転じて広く人が亡くなることをいいます。
涅槃会図は、お釈迦様が入滅された時の様子を描いた仏教画。
上には満月が描かれていて完全で満ち足りた状態を表しているそうです。
(写真は参考資料から)
お釈迦様の生母、摩耶夫人(まやぶじん:お釈迦様を産んで7日目に亡くなった。)が、今まさに涅槃に入ろうとしているお釈迦様に長寿の薬を与え、もっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いから涅槃からやって来ました。
お釈迦様の枕元にある木にかかって描かれている赤い袋が薬袋です。摩耶夫人がお釈迦様のために投じたものです。「投薬」という言葉はこの故事が起源になったといわれています。この薬は、摩耶夫人の願いもむなしく、お釈迦様に届く前に木に引っかかってしまいました。
この袋の背後に錫杖が描かれていることから、当時の僧侶が許されていた最低限の持ち物(三つのお袈裟と一つの器)をいれたものであるともいわれています。
この袋の背後に錫杖が描かれていることから、当時の僧侶が許されていた最低限の持ち物(三つのお袈裟と一つの器)をいれたものであるともいわれています。
妙心寺では左上に描かれていました。(右上の絵が多いそうです。)薬袋が何処かわかりませんでした。
摩耶夫人を先導している人が、阿那律尊者(あなりつそんじゃ)です。お釈迦様の十大弟子の一人で、お釈迦様の説法中に居眠りをしてしまったことを恥じ「絶対に寝ない」という誓いを立てます。その為視力を失ってしまいますが、そのことがかえって智慧の目を開くきっかけとなりました。阿那律尊者は「天眼第一」の異名をもっています。
お釈迦様の前で悲しみのあまり卒倒している人物が、十大弟子の一人阿難尊者(あなんそんじゃ)です。長くお釈迦様の身近でそのお世話をした方で、最も多く教えを聞いた人物であることから「多聞第一」の異名を持ちます。容姿端麗な人として模写されることが多く、涅槃図においてもいかに阿難尊者を美男子に描くかが、絵師の腕の見せ所でもあります。
集まって来ている人々の中で、唯一、供物を持っている人が純陀(じゅんだ)です。お釈迦様はこの純陀から受けた食事が元で亡くなったと伝えられています。(食材の中に入っていた茸による食中毒)
容態が悪化するお釈迦様を見た阿難尊者は、純陀の食事を受けるべきではなかったと嘆きます。しかし、お釈迦様は、「私は純陀の食事によって寿命を迎えることができた。臨終の前に食事を捧げることは最も尊い行いなのだ」と諭しました。この言葉には純陀を思いやる慈しみの心と、死は厭うべきではないという仏教の教えが表現されています。
多くの人々の中で唯一お釈迦様のお体に触れている人物が、お釈迦様に乳粥を施したスジャータです。
またお釈迦様の教えを聞こうと訪れたが時すでに遅く悲しみに暮れる老女など諸説存在します。解説では脈を取っているというお話しもありました。
沙羅双樹の下で頭を北に右脇を下に横になるお釈迦様。(沙羅双樹の木は8本描かれそのうち4本が枯れているのは植物も悲しんだことを示していて、4本は青々と葉が茂り、お釈迦さまが入滅されてもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを示しています。)
沙羅双樹の下に見える跋提河(ばっだいが)は、ガンジス川の支流をあわらし、体内の水が絶えることなく循環し輪廻転生を表しています。
涅槃図には猫はいません。これは、ねずみがお釈迦さまの使いとされていることに由来します。しかし、絵師が自分の飼い猫をそっと入れたり、依頼主が猫を入れてくれとお願いしたなどの理由によって単なる「遊び心」というだけではなく、お釈迦さまの最期の場面に自分も立ち会いたいという願いも込められています。
轉法寺の涅槃会図(右下)には猫が描かれていました。(写真中央下に視線はネズミへ)
架空の動物は恐らくサイらしいです。(猫とネズミの間)
昆虫も細かく描かれていました。
涅槃会図の左下、写真中央に見える天女のような羽根がある脚が鳥のような方の名前は、迦陵頻伽(かりょうびんが)⇨ ☆
速疾鬼(捷疾羅刹)は姿を隠して仏牙舎利(釈尊の上頷の一対の歯)を取り出し奪って逃げた。という話が説かれている。足の速い韋駄天が追い詰め、仏牙舎利を取り戻したという。
このように描かれている1つ1つに意味や俗説があるようです。
涅槃会図の周りにはお釈迦様が産まれてから入滅するまでの一生が描かれています。
(摩耶夫人の袖の中から金色に輝くお釈迦様等)
涅槃会図を納める一本杉で造られた収納箱
終わり。