父に学ぶ理不尽な出来事の納め方
年齢と共に衰える筋肉。実は、心の筋肉にも同じ現象が起きると痛感しています
身心一如という言葉があるように
体の衰えは心の衰えとも連動します
父はいつも、どんな理不尽さにも怒りを向けず冷静に対応していました
心の筋肉がとても強い人でした。
父が他界してから、そうした父の在り方をしみじみと解明するような出来事に遭遇します
そして、そこから学んだ
理不尽な出来事の乗り越え方を書いてみます
目黒不動尊の近くに、羅漢寺というのがあります。↑コチラについては長くなるので別の機会に。
父が他界してから毎日供養の意味を込めて
お寺を回りました
羅漢寺には、お腹を開いて中に仏様が存在する銅像があります。
それを見ていて気がついたのは、誰の中にも同じように尊い仏様が入っているのかもと。
どんな理不尽な人の中にもね
ただ「人柄」という
【着ぐるみ】を着ていて
その着ぐるみにはいろいろな特徴があり、
本人の意志とは関係なく
(あるいは、体験や知識が浅くて)愚かなことをしてしまう人もいる。
だからどんな人にも、本当の意味の
「悪気はない」と、悟りました。
また そうした人に出会うのは、 自分の心の成長に必要な経験じゃないかな?とさえ感じるのです☘️
魂の研磨の必要があるから引き寄せたのかも☘️自分の幸せのためにもね☘️
そう考えてみると、接し方も変わります。
本人の中心は、仏様がいるのに
【うまく動かせない理不尽怪獣】という着ぐるみを着ているのかもしれないのです。
本人も「一生懸命生きているのになんで上手くいかないのか?なんで人様とトラブルになるのか」と、悩んでいる可能性が高い😱
徳が高い人格者や幸せな人は「着ぐるみ」も素敵だから、そもそもトラブルも少ないしね
【理不尽怪獣の着ぐるみ】を着ている人は
どんなに言葉を駆使して伝えても
それをまともに聞き入れるコミュニケーション力がないのです。
つまり、経験の浅い子供に、英語や大学の授業を教えているようなもの。これぞまさに
馬の耳に念仏です😂
お恥ずかしながら、仏様のように慈悲深い父とは正反対に、未熟な母にはちいさな頃から苦労をしてきました😆
いろいろな体験を下さる母のお陰様?😂で
外では殆ど不快な方に出会わないので
経験が積めないほど😂
父は、そんな母もずーっと変わらず愛していてすごいなーと尊敬していました
そのコツを、父に尋ねた時
「猿だと思うこと」といっていてずっこけました😂
「猿に必死で人間の言葉を伝える意味があるのか?躍起になって猿を説得していると、
「お前自身が猿になる」と😂😅😅😅
えぇ〜やめて
相手を説得して変えようとするのは至難の業
それよりも、猿でもわかる優しい言葉を使い
説得ではなく、おサルさんが納得いくアプローチが効果的です😂
むしろ、中心に仏様がいらっしゃると思って、未熟な着ぐるみを着た方と出会った意味
(何を学ぶために出没したのか😂猿よりこわい、熊みたいな人もね😂)を考えてみると、後で心の筋肉の強化のためだと気がついたりします
相手をそのまま見つめて感情を振り回されていると、いつの間にか自分が猿や熊や怪獣になってしまう😂猿語や熊語を使うようになってしまうのです😆くわばらくわばら😂
それよりも、何を学ぶためにこの猿や熊を与えられたのか?を考えるほうが早いのです。
逃げた方が良いですか?
いやいや、逃げたらまた人や環境を変えて同じ事がおき続けるのです
いつも似たような目に遭うな〜と感じたら、なにが学べていないのか考えたほうが
同じ猿や熊や怪獣には出会わずに済みますよー😂