靖國神社から学ぶこと

以前、正義感が強くて
「正しい事は、なにか?」に拘る傾向がありました😅

でもね、靖國神社の明治天皇の御製を
目にしてフツフツと考えてみた

何が正しいのか?は、どこを切り取るのか?で180度結果が変わってしまうなと。

だからこそ、人間が答えをひとつに絞るのは、無理があるのでは?と感じるようになりました。

人には色々な価値があり、それらは全て尊重されてもいいよね

人々の中に「違い」があるだけで
それを「間違い」と解釈してしまうと
正しさにこだわる気持ちが生まれて
誰とも分かり合うことができなくなってしまう。

正しいか正しくないか?よりも

問い続ける
対話を諦めない
正しさは、誰にとっての正しさか?と、主語を考えてみる

この方がずっと柔らかい

正しさを追求しすぎるといつの間にか
「自分にとっての正義」になってしまい人様を尊重する気持が薄れてしまう

↑こうなってしまうと争いが生まれる
↑すると、本来の正しさから遠のいてしまう気がします。

正しさの追求の根底には、誰かに勝つ
という思いがあるのかも?
と感じるようになりました

もし、正しさを追求したくなったら
「お天道様にとって恥ずかしく無い生き方かな」と考えてみる。稲盛和夫さんみたいに。

そうしていたら、誰もがそれなりの理由持って「これが正しい」と主張している事に
気が付きます。

正しさの根底には
調和  感謝  謙虚さ が必要

それは、日本精神の自然崇拝的な考え方なのです☘️そういう思いがあると
不思議に正しいか正しくないか?なんて
どうでもよくなってしまう

誰か勝つことは、勝者と敗者を
生み出します。
勝つことは、相手から何かを奪うことに繋がる💦

勝たなくてはいけないのは、誰かや何かではなく、自分の中の慢心や未熟な心。

敗者は、敵に破れる前に
       己に敗れる
という言葉があるけれど
本当の敗者は、自分の慢心や未熟さに
負けた人のこと

勝とうとすればするほど
己に負けるのだ
つまり
敵は己の中にありなのです
勝つか負けるか?に拘りすぎると
正しさとは遠くなる

おもしろいなー