12/28
昨日、誤投薬の医療事故があり、母の様子も心配のため、S病院に行く。
担当医の一人N先生より、昨日の誤投薬の経緯と母の様子の説明あり。
(医師がチーム制のため、担当医が8人ほどいて、主に診てくれているのがN先生とA先生だった)
昨日の誤投薬は医師のオーダーを、看護師が薬剤部に依頼するときに、間違った薬剤を依頼。薬剤部から来た薬剤を処方箋と読み上げ確認したが、思い込みがあり、見落とし、日中分を誤投薬。
夕方の分を用意した看護師が間違いに気づいたとのこと。
本日の血液検査では異常はなく、薬剤の影響はないと思われるとのことだった。
誤投薬に関して、色々と確認できていない部分に対し、「どうして確認できなかったのか」「薬剤部でも、この患者にこの投薬が間違っている事に気づかなかったのか」と色々とぶつけたい気持ちが沸き上がる。
血液検査で影響はないと判断されても、全身状態が悪いと医師から言われている母に本当に影響がないのか・・
心配だった。
いろんな思いが交錯しながら、説明してくれたN先生や立ち会った看護師長に、ぶつけたい想いはたくさんあった。
でも、あってはならないことだけれども、人間はミスをするもの。
どれだけミスをなくせるかが問題なわけで・・。
そして、起きてしまった事故はもうなかったことにはできず、母に影響がないというN先生の言葉を信じるしかなかった。
私が尋ねたのは、母の様子と母がこの事故をどう思っているかだった。
母は事故の説明の後、「そうですか。後は娘(私)に任せます」と。
母が事を荒立てたくない様子であることを知ったので、今後、このようなミスの再発がないことをお願いして、事故の説明は終わりました。
この後、母の病状説明へ。
下半身がむくんでいるため、利尿剤を使用しているが、なかなか浮腫みの軽減につながっていない。利尿剤使用のため、脱水になっている。
骨髄検査の結果、造血機能が低下している。血球数(赤血球や白血球)の減少は抗がん剤の副作用ではなく、造血機能の低下からだと考えられる。
全身状態がさらに悪くなっている。
現在の状態では転院、抗がん剤の開始は難しい。
アミロイドーシスによるアミロイド沈着由来の麻痺性イレウス(腸閉塞)は治癒は難しい。また治療方法も少ない。
脱水もあり、浮腫みもあり、水分コントールが難しくなっている。
このまま脱水が進めば腎不全を起こし、命に係わってくる。
浮腫みもあり、心臓にも負担がかかっている。
1月中にもなくなる可能性がある・
と・・・・・・・。
余命が「春まで・・・」から「春まで持つか・・」になったばかりなのに、今日は「1月いっぱいもあり得る」とは・・。
どうして、こんなに余命がだんだん短くなっていくんだろう。
そんなに母の病状は、私達家族が思うより、重症なんだろうか・・・。
思いもよらない言葉に言葉がでなかった。
N先生から個室へ移動の話もあった。
個室に移れば、常時面会ができ、泊まり込んでの付添いができると・・。
個室に移らなければならないほど重症なんだろうか・・。
にわかな事に信じられない自分がいた。
そこまで悪化しているとは思えず、個室の件は検討させてもらうことにしました。
母の面会との面会が許されて面会をする。
母はベッドごと面会室に移動してきて
ベッドに横になったまま面会をした。
大丈夫かとの問いに母は「大丈夫。心配かけてごめんね」と。
今思うと、このときにはもう起き上がる元気もなかったのではないかと思う。
母の衰弱は確実に進んでいたのだ。
そんなことに、その時の私は気づかなかった。
極端に弱々しくなった母の姿に涙せずにいられなかった。
そして、面会を終了し、帰宅。
その夜、N先生から電話が入る。
レントゲンの結果、腸閉塞(麻痺性イレウス)の状態が悪化している。
横隔膜を腸管が圧迫し、呼吸状態が悪くなっている。
このため、嘔吐してしまうのだろう。
このままだと腸から血液内に細菌が侵入し、感染症をおこしてしまうだろう。
また下痢もおこしているし、水分の吸収もできていないため、電解質のバランスも崩れている。このままでいつ心停止してもおきてもおかしくない
いずれにしても、腸閉塞が改善する可能性はなく、全身状態が悪すぎで、いつ命を落としてもおかしくないでしょう・・
と。
日中の病状説明より、さらに厳しい状況であることの説明があった。
変わりすぎる状況に、心や感情が追い付いてい行きませんでした。
母ばかりがなぜ、こんなに病状の悪化が早いのか・・・。
春まで・・・と言っていた余命が今日明日にもなくなる可能性があるまでになるとは・・・・。
何を信じていいのか・・分からないでいる自分がいました。
今できることは何か・・・
いつでも面会ができるように・・
遺された時間を家族と過ごせるように・・
と、個室への移動をお願いしたのでした。
そして、この説明を兄にし
親族に母の状態をようやく説明をすることにしたのでした。
(母が病状を親族に伝えるのを嫌がっていた為、ずっと入院していることを伝えてなかったのです)
目まぐるしく変わる母の様子についていけない自分。
そして、この後から、母の芯の強さと私の知らなかった母の姿をみることになるのでした。