12/11から抗がん剤治療・ DLd療法(ダラキューロ:抗がん剤、レブラミド:免疫調節剤、レナデックス:ステロイド剤) が始まった。
一度に11錠服用しなければいけないらしく
母にとってはとても大変なことだったよう。
「薬が多くて、何とかスムースに飲める方法がないか。ゼリーに混ぜるやつがあるけど、それならば飲むことができるかも・・」
そんな電話もあり、”お薬のめたよ”的なゼリーを用意してあげた・・。
抗がん剤も服用しながら
輸血などの治療もおこなって
すこしでも体調を整えるように治療を行っていた様子。
母からの電話・Cメールは
「今日は調子がよい」
「今日はダメな日」との連絡だったり、
着替えやシャンプ―などの日用品のの差し入れを求められたり・・・
私は3~5日おきに片道3時間半かけて
S病院へ足を運んでいました。
紅葉もすっかり終わり
枯れ木が多くなり、冬の気配が漂っている道中。
季節の移り変わりを感じながらの往来でした。
1週間後ぐらいから
母から抗がん剤が一旦中止になった知らせがありました。
「白がね、いけないの」
何のことなのか分からなかった・
白とは?
今から思うと白血球のことだったよう。
白血球が極端に少なくなり、抗がん剤治療をすることが出来なくなったようでした。
医師からの説明もないため、
病状は母の口から伝わるものばかりで
客観的な情報はありませんでした。
母の様子も
指が浮腫んでいるためか、上手くスマホが操作できないのか誤字が多くなり、文章も短文に・・
電話口の声もよわよわしく
疲労感がみえて
5分ほどしか話せなくなっていました。
そんな様子の中
次の病状説明があったのは12/25のことでした。