去年の冬、12月18日までのこと | p o w ! ! !

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うちの神様チンチラ(げっ歯類)ぽーちゃんの可愛さをひたすら発信するブログ(◜௰◝)
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チラフェス楽しかったー!という記事のあとにしてはしんみりした内容で、なおかつかなり長くなりますが、ぽーちゃんのことをちょっと…


これも報告的には遅いですし、当日お声をかけて頂いた方の中にも覚えていて下さった方がたくさんいらっしゃったのですが、チラフェス開催日の12月18日は、ぽーちゃんの命日でもありました。

去年のことや、ぽーちゃんがいなくなってしまってからのことを思い返すと、もう1年?そんなに経ったの?という感覚と、逆にまだたった1年しか経ってないの?という感覚があって、なんだか正直、未だにあまり信じらない気持ちです。


この1年、なんだかんだ私は、きちんとぽーちゃんが亡くなった経緯を公の場で詳しく話したりしておらず、そのことについてちゃんと向き合ってこられたのか?と思うと、あまり自信がありません。
忘れたくはないのに、きちんと思い出そうとすると泣いてしまうので、何もかもが宙ぶらりんのまま手付かずな状態でした。

しっかり現実を受け止めて前を向き、ぽーちゃんに心配をかけないようにしないといけないと思いつつ、仲良くしてくれている人たちに甘えきりで、ぽーちゃんのいた頃のツイートがどんどん流れていくのが悲しく感じることもあり、ツイッターにもあまり顔を出さず、ただ慰めてもらいっぱなしの1年だったように思います。


あのときのことをしっかり思い出してここに書いたところで、悲しい気持ちがなくなるわけではないでしょうし、これを境に劇的に後悔とか未練を乗り越えて過去にしてこれからは振り返らず明るく進むよー!というわけにもいかないでしょうが…
文字にして記すことで、気持ちの整理や、ある程度の心の区切りになるかもしれないので、ぽーちゃんが闘病生活をどんなに頑張っていたか、ということや、ぽーちゃんがいなくなったあと何があったか、私がどんなことを考えたかを、つらつらと書いていこうと思います。

本当に、ものすごく長い上に、それなりに暗い内容になると思いますのでご注意下さい



去年の11月の中頃、夜の部屋んぽをしようとしたとき、ぽーちゃんの様子に違和感を感じました。

見た目には普段と変わらない様子なのですが、なんとなく眠たげというか、ボーッとしていて、どうしたの?と言いながら手を出すと、いつもならおなかをモミモミしろー!と飛び乗ってくるのに、その場であごをステップにこすりつけるようにしたり、うつぶせでモジモジし出したのです。

さっきまでは早く出せ出せ〜とケージをバンバンしたり、ステップの上を飛び回っていたのに、なんだか変だな、と思い、抱き上げてみると、少し呼吸が荒いようでした。

驚いてしばらく様子を見ましたが、時折起き上がって膝から降りようとするので、部屋んぽどころではないし、あまり動かない方がいいのではないか、と、とりあえず一旦ぽーちゃんをケージに戻して色々と調べましたが、症状から原因を特定するには至らず、かかりつけの病院に相談したくても夜間は開いておらず、もちろん電話も繋がりません。
県内でチンチラを詳しく診られるのはほぼそこだけで、しかも翌日は定休日、どうしよう、他のある程度診られるところに連れて行くべき?と、相方と相談しているとき、ぽーちゃんの様子がだんだんと苦しげになってきました。

何度も何度もステップに体をこすりつけるようにして、明らかにおかしいので、急いでケージを開け、ぽーちゃんおいで!というと、すぐに私のところに飛んできました。
苦しくて不安だったのでしょうか、抱っこするとポヨポヨと鳴きながら、手にしがみついてきました。

私もどうしていいかわからず、とにかく電話出来るところには片っ端から電話しましたが、その時間から診察出来るところは近くになく、とにかく夜通し見守るしか出来ませんでした。

その間、深夜にぽーちゃんは一度意識を失いました。
いっそう息苦しそうにしてから、そのあとグッタリと脱力して目を閉じてしまったので、私はぽーちゃんが死んでしまうと思い、必死で声をかけ続けました。

夜中でしたが、そんなことに配慮は出来ず大泣きしながら、ぽーちゃんいなくなっちゃ嫌だよ、お願いだから頑張って!神様ぽーちゃんを連れていかないで下さい、許して、助けて下さい!!と、いい大人のくせに癇癪持ちの駄々っ子のように喚いていただけだったのですが、ぽーちゃんは本当に優しくて面倒見のいい、まるでお母さんのような子だったので、私が取り乱して大泣きしているのを見てこのままじゃ死ねないと思ってくれたのか、数分後に目を開けて起き上がってくれました。

もしかしたら疲れて眠りたかったのかも?と申し訳なくなりましたが、それでも目を開けてくれたのが本当に本当に嬉しかった。
うるさくてごめんね、ありがとうね、もう少し頑張ってね、と朝まで話しかけ続けて、調べた中ではなんとかチンチラを診察出来そうな病院へ連れて行きました。

でもやっぱりしっかり診察が出来るというわけではないようで、脱水でしょうか?皮下注射しましょうね、と注射をしてもらい、あとはかかりつけの病院でないとわからないと思います、とのこと。

ダメ元でかかりつけの病院にも電話してみましたが、やはり定休日のため繋がりませんでした。

あまり移動させたりしない方がいいでしょうと言われたため、そのまま帰宅し、また昨夜のようになったらどうしよう、と不安でたまりませんでしたが、幸い容態は変わらず、なんとか翌朝までもってくれました。

朝になりすぐにかかりつけの病院へ連れて行きレントゲンを撮って見ると、胸にモヤがかかっており、どうやら胸水がたまっているようですと言われました。

そのとき聞かされたのが、もしかしたらリンパ腫、もしくは胸腺腫の疑いがあり、胸水の影響で肺炎も併発している可能性があること。

このまま放っておいて胸水が溜まり続けると呼吸が困難になるので、経過を見るため、その日のうちに入院となりました。

入院用の支度が十分でなかったので、一度すぐ自宅に帰ってから入院に必要なものをまとめて再度来院した際に詳しく話を聞いたところ、リンパ腫にはステロイド、胸腺腫には抗生物質が効くけれど、両者はほぼ逆の効果の薬のため、原因がハッキリしないうちは様子を見つつ、どちらが効くか試していかないといけないと言われました。


その後ある程度容態が安定したため、ステロイドをやめ抗生物質の飲み薬のみにし、一旦退院することに。
このときまだ胸水が肺を圧迫している状態で呼吸がうまく出来ず、ぽーちゃんは酸素ハウスに入っていたため、一時退院の準備として、前日までにレンタルの酸素ハウスを設置しておきました。

私のレンタルした酸素ハウスはかなり大きく、家具の配置によっては設置が難しい場合もあるかもしれません。
なんとか長い作業台を片付け、その上に乗せました。

それから、酸素が逃げないように締め切るのですが、その際ものすごく湿度が下がりました。
チンチラさん的には湿度は低い方がいいかもしれないのですが、それでも10%を下回り計測不可能になったりして、乾燥しすぎでは?と心配だったので、おしぼりとお湯をコップに入れたものを倒されないような場所にいくつか置いて調節しました。
温度も下がりやすかったため、マイカヒーターをつけて隣に置いたところ、暖かそうにそばで眠っていました。

この間は発作もなく、ごはんもたくさん食べ、小さいながらもうんちもしていて、安定しているように見えました。


ですが、3日後検査のため来院した際、また胸部のモヤが広がったため再入院となり、ステロイドをやめてから悪化したので、リンパ腫の疑いが強くなったと診断されました。


今度は抗生物質をやめステロイドに切り替え、しばらく様子を見ていたところ、少し回復したためステロイドを注射から飲み薬に変えました。

このまま回復に向かうようであれば、また一時退院して自宅療養も可能かもしれないとのことでした。


数日後、このまま回復してくれるかな…と淡く期待していましたが、どうにも芳しくなく、飲み薬のステロイドの効きが悪いようで、また注射に戻し、さらに投薬の量を倍にするか?と判断を任せられ、とても怖かった。
私の判断でぽーちゃんを失うかもしれない、このままではいけないかもしれない、でも増やして悪化するかもしれない、答えをすぐに出さないといけないのに、気がつくと1時間以上その場で泣きながら悩んでいました。

決断は本当に苦しいことでしたが、その段階の治療でどんどん悪化していること、これ以上悪化した場合、対応が出来るかわからないと言われたため、やむなく投薬の量を倍にしました。


そして、そのときにとってもらったエコーで、心音には今のところ異常はみられず、心不全等の可能性はないと言われました。


それから、回復が見込めなかったため大事をとって一時退院は見送り、毎日仕事が終わってからお見舞いに行き、入院患畜がいるスペースの隅っこの、酸素ハウスがあるところへ通してもらい、隙間から手を入れて枕になりつつそっとおなかをモミモミしたりしながら、閉院までぽーちゃんとお話をする生活が続きました。

その間に、溜まりすぎた胸水を抜くため、麻酔をしました。

これもとても怖い決断でした。

高齢のため、麻酔をするとそのまま目覚めない可能性があること、でも胸水を抜かなければ呼吸が出来なくなってしまうことを聞かされ、どうしますか?と言われ、やはりすぐに返事が出来ませんでした。

それでも、みすみすこのまま呼吸が出来なくなってしまうという苦しい最後を迎えさせるなんて選択は出来ず、麻酔をして胸水を抜くことに。

結果的には、これはこの判断で間違っていなかったようで、ギリギリのラインだったのでしょうが、ぽーちゃんは目を覚ましてくれて、無事胸水を抜くことが出来、さらにそのとき採取した細胞を検査機関に送り、胸水が溜まる原因を調べてもらうことも出来ました。

ただ、かなり時間がかかるらしく、きちんとした結果が出るにはしばらく待たないといけないとのこと。
その時点でわかるのは、おそらくやはりリンパ腫であるのではないか、ということのみでした。

そのためそれからもステロイドでの治療が続きましたが、なかなかぽーちゃんの容態は良くならず、そのあとも数回胸水を抜かなければなりませんでした。

それでもぽーちゃんはその度に頑張ってくれて、ひどくなることもなく、わずかに一進一退を繰り返して、いわゆる膠着状態になっていたのですが、その頃から先生が頻繁に、このままだと変化がないかもしれない、一度帰宅させたら気分が変わって良くなるかもしれないですよ?と言うようになりました。

ただ、そのときはもう2日に一度は注射器で胸水を抜かなくてはならず、そんな状態で連れ帰っても大丈夫なものですか?と訊ねると、それは保証は出来ません、移動中にショック死してしまうこともないとは言いきれません、夜中に発作を起こせばそのまま亡くなるでしょう、とのことで、その状況での一時退院は不安ですと言うと、それなら出来ることをやってみますが、正直手詰まりなんですよね、と…

このときちょうどセカンドオピニオンを考えており、都内の病院にも問い合わせをしていましたが、酸素ハウスに入っていること、高齢であること、来院まで車で2時間以上はかかることを告げると、どこも今は下手に動かすよりも様子を見た方がいいでしょう、との返答でした。

この頃の先生の言葉や回復しない容態にとにかく不安で、かかっていた病院の院長先生はよく学会などにも出席されているとのことだったので、失礼かと思いつつも、他にチンチラのリンパ腫の事例や、それに詳しい病院などを紹介して頂くことは出来ますか?と聞いてみたことがありましたが、うちでダメならダメでしょう、それなら退院させておうちで看取った方がいいでしょう、ということでした。


ぽーちゃんは、本当に頑張っていて、お薬も、ごはんも、診察も全部自分から進んで受けていたんです。
本当に、本当にいい子で、親バカかもしれませんが、ぽーちゃんは本当に賢くて頑張り屋さんで、私にはもったいないくらいの、本当に素晴らしい子です。

何がいけなかったのか、体調を崩したそもそもの原因があるなら、それは何だったのか?
私はどうしたらよかったのか、私のところにこなければ、あるいはこうならなかったのか?
きっと一生その疑問はなくならず、私は死ぬまで後悔すると思います。
たくさんの決断の前に、そのときそのときに出来る最良を考えたつもりでしたし、だからこそ後悔をしないように、とも思っていましたが、そんなことは不可能で、これはもう、私がぽーちゃんを大切に思い続ける限りどうすることも出来ない後悔でしょう。


12月17日、この日はあいにく相方は仕事終わりが遅く、次の日の仕事が早いため一緒にお見舞いに来れず、私は電車とバスを乗り継いでお見舞いに来ていました。

すごく寒い日で、お見舞いの帰りに最終に近いバスを待っているとき、おなかを壊しました。

それでも、また明日お見舞いに来るときはもっと厚着をしてこよう、それから、ぽーちゃんの嫌いなお薬や流動食に混ぜて食べやすくするためのトマトを裏ごしして作ったジュースとすりおろしりんごのジュースが減ってきたということだったから、帰ったら作って小分けにして冷凍しておかないと、と考えて、今お見舞いしてきたばかりだけれど、もう早くぽーちゃんの顔が見たいなぁ、と思ったりしていました。


次の日、12月18日の朝、職場で朝礼に出ようとしていたとき、スマホに着信がありました。

病院からでした。

こんな時間に、と、一瞬で最悪のことを考えました。

社会人としてどうか、と思われる方もいるかもしれませんが、説明する余裕などなく、その場から逃げるように走ってとりあえず給湯室に向かいながら電話に出ました。

担当の先生からで、ぽーちゃんの様子を朝見てみたら、グッタリと横たわって息をしていなかった、まだ温かかったため、蘇生処置をしましたが、ダメでした。亡くなりました、と。

亡くなりました、という言葉はしっかりと聞こえていたのですが、意味をよく捉えられず、それで、どうなりましたか?今、大丈夫ですか?と聞いてしまい、あれ、何を言ってるんだろう?でも、聞き間違いかも?今、ぽーちゃんは、どうなってるって言ったの?と、パニックになっていた自分を、遠くから見ているような感じで妙にハッキリと覚えています。

先生からもう一度ぽーちゃんのことを聞き、耳の奥からザーッと音が聞こえるほどいっぺんに血の気が引いていき、ただひたすら、もう、今、今すぐ目を覚まさないと、これが現実になったらダメだ、こんなことは夢に決まっていて、夢だと気付いたらすぐに目が覚めるはずなのに、と思いながら、それでも目が覚めず力が抜けてきて、先生が電話の向こうで、大丈夫ですか?聞こえますか?と言っているのに返事も出来ず、立ちくらみがして、職場なのにへたり込んで泣いてしまいました。

そのあとどうしたかあまりよくわからないのですが、いつの間にかトイレに移動していて、まだ電話が繋がっていたので、これから向かいますと伝え、どうにか電話を切り、相方に連絡し、相方も仕事でしたがすぐに早退してくれ、迎えに来てもらい、そのまま病院へ向かいました。


電話を切る前、もはや何を話したか覚えていませんでしたが、どうやら私は電話口で先生から、ぽーちゃんの体を綺麗に処置しますか?と聞かれて、お願いします、と言ったようで、ぽーちゃんは目を閉じた状態で帰ってきました。


それからはとにかく忙しく、最後の方の対応から少しその病院に不信感が芽生えていたため、今後の参考のために解剖させてもらえないか、との申し出を丁重にお断りし、ぽーちゃんを連れ帰り、ツイッターのフォロワーさんやロイヤルチンチラさんに相談し、色々なところへ電話をかけ、最終的に三鷹にある動物病院さんから、病理剖検にとても強い機関を紹介して頂き、結局ぽーちゃんの本当の病因はなんだったのかを詳しく調べてもらうことに決めました。

せっかくおうちに帰ってこれたのに、本当に申し訳ない。
本当は、もうこれ以上ぽーちゃんに無理をさせるのもどうかと思いました。
本当は、最後のわずかな時間だけでもそばにいて、ゆっくり一緒に過ごしたかった。

それでもそう決断したのは、身勝手だけれど、ぽーちゃんが頑張ってきたことについて、何を間違ってしまったのか、どうしたらよかったのか、全てをハッキリさせたい、そして出来ることならこれからぽーちゃんと同じ症状になった子の助けになれれば、と考えたためです。


ただ、病理剖検を受けさせてもらうには治療の経過や診断表などが必要なことから、基本的にはかかりつけだった病院からの紹介になるとのことで、あってはならないことだけれど、もしも断られたらこちらでなんとかしますから一応頼んでみて下さいと三鷹の先生が言って下さったので、ダメ元で元の病院に電話をかけました。


その際、当たり前かも知れませんがやはり抵抗があったようで、かなり話し合いが長引き、通常はかかっていた病院で解剖するのが当然であり、このような依頼は普通は誰もしません、ハッキリ言って失礼ですよ、と言われてしまい、とても申し訳なくなりました。

我が儘だとは知りつつ、それでも少しでも納得のいく結果にしたいことを伝え、もしどうしても無理でしたら、検査機関を紹介して下さった病院の先生からもお願いは出来ます、と告げたところ、なんとか依頼して頂けることになりました。


ただし、その時点でまだ出ていなかった元の病院で依頼した細胞の検査の結果と病理剖検の結果が違ったとしても、医療は絶対ではなく、相違は仕方のないことなので文句は言わないように、また検査機関から届いた結果の内容はまず元の病院で確認させてもらいます、とのことで、それは当然の権利であるということを説明され、承諾出来ないのなら紹介は無理です、と言われました。

高圧的な言い方は自尊心が傷ついてしまったから、条件に関しては、人間でも完璧でない治療を、言葉でのコミュニケーションをとれないチンチラ相手にすることの難しさは最初からわかっていましたし、内容について、もしも改ざんや抜き取りがあったとしても、双方の検査機関に確認をとればいいことなので、了承しました。


検査が終わり、検査機関に連絡をとってくれた三鷹の先生からの電話で、結果が出るまでは少しかかりますと言われ、ひとまずその時点でわかった内容は、胸水は肺炎からきたものの可能性が高いこと、胸腺に腫れは見られないことから、胸腺腫の疑いはまずないとのことでした。

帰ってきたぽーちゃんは、体の中に脱脂綿が詰まっているためかとても軽くなってしまっていましたが、送り出した時よりもむしろ綺麗にして頂いていて、辛かったけれど、こちらに依頼してよかったと心から思いました。

最後のときまで1日と少し、もうかなり時間が経っていたため、それ以上ぽーちゃんの体が傷まないように冷やしていましたが、それでも何度も何度も顔を見たくて箱を開けたり、全然お風呂に入れなかったから、せめて少しでもスッキリしたいかも、と思い、砂浴びをさせてブラッシングをしました。

砂浴びのあと、砂の上でオシッコをするのがクセだったのにしないこと、ブラッシングでおしりにクシを通してもプギュ!と言って怒らないことが、現実を突きつけられているようですごく悲しかった。

それから、火葬を依頼し、業者の方におうちでささやかなお式をして頂き、ぽーちゃんは12月23日、やっと落ち着いて重たい体から抜け出して、神様になることが出来ました。


火葬のとき、あとで調べてもどこで何の催し物であがっていたのか結局わからなかったのですが、ちょうどぽーちゃんの釜に火が入ったときからぽーちゃんが出てくるまでのきっかり30分の間、ずっとかなり近いところで花火があがっていました。

あんまり時間ぴったりで、どうしてあがっていたのかわからないため、まさか相方がサプライズか何かでぽーちゃんのお見送りのためにあげたの?と思いましたが、そんなわけではないようで、ぽーちゃんがあげたのかなぁ、と、うちではぽーちゃんの凄さや不思議さを語るときにいつも話題にのぼるエピソードだったりします。

そういえばぽーちゃんは、うちから見える花火を怖がらず、むしろ近所で花火があがっていると興味深げに窓に寄って行って、抱っこしてあげると背伸びしながら終わるまでずっと見ているような子だったので、もしかしたら、火が入っている間私たちがションボリしないように、一緒に花火を見ていたかったのかなぁ、なんて話しています。


ただ、火葬のときより、何より辛かったのがこのあと、病理剖検の結果が出たときでした。


かなり経ってから、予定の日にちを過ぎても連絡がないため、元の病院に問い合わせをしたところ、確認してみます、と電話を切られ、翌日、結果が届いていました、と連絡がありました。

ハッキリ言って素人の方が見ても意味がわからないと思いますが、結果お送りした方がいいですか?どうしても必要だということなら、忙しいので内容確認のためにもう少し時間を頂きますが、と言われましたが、もし先生から説明して頂くのがお忙しくて無理でしたら、わからないことがあれば三鷹の先生が説明してくれるとのことですし、内容について疑問があった場合も頼めば検査機関の方に問い合わせてくれるので大丈夫です、と伝えると、では今口頭でこちらから説明します、と言われ、そのときの内容は、とても悲しく、後悔の多いものでした。


結果として、まず、ぽーちゃんは、胸腺腫でもリンパ腫でもなく、心不全である、とのことでした。

そのことを教えてもらうまでに、何度も、以前も言ったように医療は絶対ではないので、診断結果が違うといって騒ぎ立てないこと、この結果の違いや治療の内容についてSNSや知り合いなどに開示しないこと、今回の治療と結果について裁判などを起こすつもりだとしても、全ての判断は最終的にそちら(私)がしたため意味がないこと、そもそも始めの契約で、当院は治療に関する判断の全ての責任を追わず、それについてそちらは承諾したのですからね、と…

本当に何度も何度も念を押されました。


なので、病院の名前を書いてはいませんが、今私がここにこの話を書いていることは、契約違反?ということになるのでしょう。


その病院はよくあるおうちと病院が一緒になったような作りで、院長先生も色々な学会に出ていて、医療ミスだなんだと騒がれては死活問題であるのはわかります。

それに、結果がまず可能性はありませんと断言されていた心不全だったことはショックでしたが、私自身、先にも書きましたが、動物相手の診療の難しさもわかっていますし、一応心不全についても調べていましたが、心不全の場合確証を得るのはとても難しく、治療も困難だと知っていましたし、何より、今さら騒ぎ立てたところでぽーちゃんが戻ってくるわけでもなく、ただただぽーちゃんがこうなってしまった本当の原因を調べたいだけだったのに…


ぽーちゃんを失くして辛いところに、まさかそんな言葉をひたすら聞かされるとは思わず、とにかく落胆しました。


最後の方、ぽーちゃんが亡くなる少し前から言われていた、もう手詰まり、このままなら退院した方がいいのでは?との言葉も、見放されていたのかな、と思われ、信用問題に関わる書き方をされると困るのはわかりますが、ぽーちゃんを失ったばかりで落ち込みきったところにそんなことを言われ、本当にこの病院でよかったのか?
もしも結果が同じだったとしても、もっと、心からぽーちゃんのことを心配し、ぽーちゃんの命に対して真摯に向かい合って下さる先生がいたのではないか、と、そういう病院を見極めてあげられなかった自分にひどく腹が立ちました。

もうその病院の院長先生のことは仕方のないことだと思っています。
通常の体調不良などであれば、知識もあり、私の家から近いところにある病院としては、よい病院だったはずです。

ただ、とにかく最後の対応が悲しかった。
ここで言っても、さらに今さらでどうしようもないですが、名誉やその後の経営のことも大事でしょうが、せめて最後くらい、ぽーちゃんがいなくなってしまったことに、何かひとことでもあたたかい言葉をかけてほしかったです。



それでも、そんなこともありつつ、ぽーちゃんが亡くなってから、本当にたくさんの方からお悔やみの言葉をかけてもらったり、ぽーちゃんに贈り物を頂いたりしました。

さすが、さすがぽーちゃん!こんなにたくさんの人に愛されていて、お世話係の私は、本当に、本当に、ぽーちゃんのお世話をさせてもらっていたことを誇りに思います。
嬉しくて有り難くて、そして申し訳なくて、しばらく何度も泣いてしまいました。

そのとき頂いた言葉や贈り物は、今もずっと心の支えになっています。
本当にありがとうございました。

ただ、やっぱりそのあとも、大切な存在を失くしたときどういう気持ちでいればいいのか、どう過ごせばいいのか悩み、色々な記事を読んだり、色んな人に相談したりしてみました。

ここでは書いていますが、未だに、ぽーちゃんが亡くなった、いなくなった、という言葉を使うのが怖くて、そうじゃない、ぽーちゃんは天使から神様になって、うちの守り神になって今も変わらず一緒にいるんだ、と考えるようにしたり、そのため今でも毎日、以前と変わらず話しかけたりしていますし、抱っこやナデナデが出来ないことを悲しく思い、ぬいぐるみや羊毛フェルトのぽーちゃんをこしらえて一緒に出かけたり写真を撮ったりしています。


今年の3月には、ツイッターでよく話をしていたなっちゅさん、ぴーたんさん、まぁちょこさんがそれぞれ遠いところであるにもかかわらず、ぽーちゃんのためにうちまでお線香をあげに来てくれて、それからずっと毎日のようにラインをしてくれて、すごく励まされています。

普段おバカで下らない話しかしないし、どうしようもない私だけど、いつも構ってくれてありがとう。
ぽーちゃんのことを、今でも好きでいてくれて、本当にありがとう。

この場で、こっそりお礼を言わせて下さい。


そして、こうなってしまう前に、イラストを描きますねー!と言ってそのままになってしまっている方や、前回のチラフェスで通販などの依頼をして下さった方、放ったらかしですみません。


本当に、とにかく引きこもってグズグズしつつ、ありがとうございます、と、申し訳ありません、ばかりの1年でした。


でも、よく考えると、去年のチラフェスはギリギリまで粘りましたが、お見舞いは定休日以外は1日でも欠かしたくないし不参加かなぁ、と思っていたところに、急遽病院の方が臨時休業になり参加することになったり、今年は今年で、まさかのぽーちゃんの命日とチラフェス開催日が重なって、もしかしたらぽーちゃんが、家でメソメソしてないで、チラ仲間さんたちに恩返しして来なさい!と言ってるのかな…と思えるような、偶然なのかそうじゃないのかわからない出来事が多々あって…

思い出して悲しくて泣いたり、後悔して落ち込んだりすると苦しいですが、それを悪いことだと考えればいいわけでも、とにかく全て忘れたフリをして前を向けばそれでいいわけでもないし、だからと言ってどうしていいかわからず引きこもっていてもぽーちゃんが喜ぶわけではないのはわかっているので、今、私は私が出来そうなことを、もっと色々やってみようと思っています。


ぽーちゃんの可愛さをたくさんの人に知って欲しくて始めたツイッター、チンチラの素晴らしさを共有したくて参加したチラフェス、ぽーちゃんのおかげで繋がったご縁、教えてもらったこと、まだわからないこと、これからも考え続けること。

書き出して考えてみると、たくさんあります。


ぽーちゃんに会うまでの人生、私はもうそれまで私が何をしてたかなんてことはもはやどうでもいいくらいで、それくらい、ぽーちゃんと出会ってからの人生が素晴らしくて、これからの人生は、ぽーちゃんがくれたものだと思っています。


そう思っている限り、私の人生はつまらなくないし、いつまでだってぽーちゃんと一緒にいられるんだと、そう考えると、これからも、やっぱり泣いたり悔やんだりすることもあるでしょうが、それでも笑って楽しんでいられる気がします。



なんだかもう、書き出したときどうやって着地させようかとか、総体的に何を伝えたいかとかを考えていなかったので、これから添削したり誤字脱字を見つけたりする気力がわかないほど長ったらしくなってしまい、もはやここまで読んでる人いないのでは…という感じですが…:(;゙゚'ω゚'):


それでも、とにかく、ぽーちゃんに優しい言葉をかけて下さった方、ぽーちゃんのことを可愛いと思って下さった方、しつこいようですが、本当にありがとうございます。

短い間でしたが、ぽーちゃんと過ごした日々は私にとって宝物で、もうぽーちゃんあっての私である感じなので…ぽーちゃんをほめられると、自分のどんな功績を称えられるより嬉しいのです。


これから、ぽーちゃんのことを忘れられないように、ずっとぽーちゃんのことを覚えていてもらえるように、これからもぽーちゃんのことを知ってもらえるように、微力ながら少しでも頑張れたらと思います。
そうしたら、ぽーちゃんはきっといつまでだって生きていられます。


それでは、こんな長いひとりごとをここまで読んで下さった方、重ねて、心から、ありがとうございます!

どうか、どうか、あなたが大切にしている存在がたくさんの人に愛され、可能な限り永く健やかで幸せでありますように!



2016.12/28  p助