なぜかアジア人に嫌われるアジア人
うちの近くにアジア専門の食材を売っているお店がある。
余裕で徒歩圏内にあるので、免許を持っていない私は、引っ越し当初に近所探索がてら、そこを訪れてみた。
表で見るより、店内はかなり広め。
日本の物もいくつかあったが、基本は東南アジアの物が多かったような気がする。
母親が日本からいつも送ってくれていた、お気に入りのタイ産スイートチリソースも見つけた。
日本だと500円前後するものが、そこでは$0.99だった。破格だ…。
どんなものがあるのか一通りチェックしたかったので、店内を隈無く歩いていたら、店主らしきアジア人の中年女性が話しかけてきた。
「アンタ、うちの値段をチェックしてるのかい?」
よく意味がわからなかったので、
「ちょっと色々と見てるだけです」と答えておいた。
しかしこの店主、険しい顔でかなりしつこく同じことを何度も聞いてきたので、
「日本からこの街に越して来たばかりで、何か日本の物がないかなと思って見てるんです」
と、頑張って笑顔で答えてみたものの、
「どうせ値段をチェックしてるんだろ!買わないんだったら出てっておくれ!」
私は耳を疑った。
恐らくその店主は、私が違うアジア専門食材店からスパイに来ているとでも思ったみたいだ。
しかし、なぜそう思ったのだろうか…?
入店してまだ5分も経っていなかったのに。
見慣れない客だったからだろうか?
私は急に悲しくなり、すぐにその店を後にした。
以降、その店には行っていない。
車で10分ほどのところにも、アジア専門の食材店がある。
そこは日本の物が結構豊富に揃っている。
食材のみならず、炊飯器や置物まで売ってある。
旦那と初めてそこに行った時も、何やら様子がおかしかった。
老夫婦が経営しているようで、夫はアメリカ人、妻はアジア人だった。
この妻がくせ者だった…。
私たちが入店するや否や、"Hello."の代わりに、ものすごい鋭い視線で迎え入れてくれた。
すでに殺気を感じていた私は、前回のような誤解を招かないように、とりあえず日本産のカレールーを手に取り、商品を買いますアピールをしてみた。
それでもやっぱり来た…。
決して親切には聞こえない口調で
「何探してるんだい?」
私はもうここでギブアップだった。
なにせトラウマがあったから…。
旦那は前回の店での出来事を知っているので、彼が慎重に対応してくれた。
「いやぁ~、いつも妻の家族が、日本からわざわざ日本の調味料やらを送ってくれるんですけどね~、こちらでだいぶ揃ってるみたいだから、今度からこちらで買った方が良さそうですね~」
なんて出来た旦那なんだと思った。
しかし、そこの女店主は
「ほら、ここに日本の調味料があるだろ、どれがいいんだ」
と、適当に掴んだ調味料を、私に無理矢理渡そうとした。
え?
とりあえず、彼女の殺気に耐えられなかった私たちは、日本の食材を何点か購入して、すぐに店を出た。
その後も、1度だけそこには行ったが、相変わらずすごい形相でこちらを睨みつけ、"Hello. May I help you?"もなければ、"Have a nice day."もなかった。
会計の際も、値段も言わない始末。
旦那も
「同じアジア人なのに、どうして君にあんな態度を取るのかね?」
と首を傾げていた。
後者の店では他にもアジア人の客がいたが、彼らには私たちのような問いつめた態度は取っていなかったように思う。
私はそんなにスパイに見えるのか…?
それとも、他に何か問題でもあるのだろうか…?
この街に来て、すっかりアジア人が怖くなったアジア人である。
余裕で徒歩圏内にあるので、免許を持っていない私は、引っ越し当初に近所探索がてら、そこを訪れてみた。
表で見るより、店内はかなり広め。
日本の物もいくつかあったが、基本は東南アジアの物が多かったような気がする。
母親が日本からいつも送ってくれていた、お気に入りのタイ産スイートチリソースも見つけた。
日本だと500円前後するものが、そこでは$0.99だった。破格だ…。
どんなものがあるのか一通りチェックしたかったので、店内を隈無く歩いていたら、店主らしきアジア人の中年女性が話しかけてきた。
「アンタ、うちの値段をチェックしてるのかい?」
よく意味がわからなかったので、
「ちょっと色々と見てるだけです」と答えておいた。
しかしこの店主、険しい顔でかなりしつこく同じことを何度も聞いてきたので、
「日本からこの街に越して来たばかりで、何か日本の物がないかなと思って見てるんです」
と、頑張って笑顔で答えてみたものの、
「どうせ値段をチェックしてるんだろ!買わないんだったら出てっておくれ!」
私は耳を疑った。
恐らくその店主は、私が違うアジア専門食材店からスパイに来ているとでも思ったみたいだ。
しかし、なぜそう思ったのだろうか…?
入店してまだ5分も経っていなかったのに。
見慣れない客だったからだろうか?
私は急に悲しくなり、すぐにその店を後にした。
以降、その店には行っていない。
車で10分ほどのところにも、アジア専門の食材店がある。
そこは日本の物が結構豊富に揃っている。
食材のみならず、炊飯器や置物まで売ってある。
旦那と初めてそこに行った時も、何やら様子がおかしかった。
老夫婦が経営しているようで、夫はアメリカ人、妻はアジア人だった。
この妻がくせ者だった…。
私たちが入店するや否や、"Hello."の代わりに、ものすごい鋭い視線で迎え入れてくれた。
すでに殺気を感じていた私は、前回のような誤解を招かないように、とりあえず日本産のカレールーを手に取り、商品を買いますアピールをしてみた。
それでもやっぱり来た…。
決して親切には聞こえない口調で
「何探してるんだい?」
私はもうここでギブアップだった。
なにせトラウマがあったから…。
旦那は前回の店での出来事を知っているので、彼が慎重に対応してくれた。
「いやぁ~、いつも妻の家族が、日本からわざわざ日本の調味料やらを送ってくれるんですけどね~、こちらでだいぶ揃ってるみたいだから、今度からこちらで買った方が良さそうですね~」
なんて出来た旦那なんだと思った。
しかし、そこの女店主は
「ほら、ここに日本の調味料があるだろ、どれがいいんだ」
と、適当に掴んだ調味料を、私に無理矢理渡そうとした。
え?
とりあえず、彼女の殺気に耐えられなかった私たちは、日本の食材を何点か購入して、すぐに店を出た。
その後も、1度だけそこには行ったが、相変わらずすごい形相でこちらを睨みつけ、"Hello. May I help you?"もなければ、"Have a nice day."もなかった。
会計の際も、値段も言わない始末。
旦那も
「同じアジア人なのに、どうして君にあんな態度を取るのかね?」
と首を傾げていた。
後者の店では他にもアジア人の客がいたが、彼らには私たちのような問いつめた態度は取っていなかったように思う。
私はそんなにスパイに見えるのか…?
それとも、他に何か問題でもあるのだろうか…?
この街に来て、すっかりアジア人が怖くなったアジア人である。
Welcome to the ghetto!
私はどうもゲトーに縁があるようだ。
カリフォルニア州に留学していた頃、最初に住んだ街がオークランドだった。
なにせアメリカ自体が初めてだったので、こんなもんかと思っていた。
しかし、今になってオークランドに住んでいたことがあるとアメリカ人に話すと、決まって
「ゲトーじゃん」と言われる。
確かに治安は良さそうではなかった。
当時、そこにある語学学校に通っていたのだが、比較的裕福な子たちが世界中から来ていた。
短期の子たちが多かったのもあり、車を持っている子はほとんどいなかったので、移動はバスかバートを使用していた。
バスに乗っていても、私たち留学生はかなり浮いていた。
そこの住民と明らかに様子が違うからだ。
かといって、トラブルに巻き込まれるようなことは全くなかった。
そこから私はシリコンバレーへと移動した。
当時は、ドットコムバブルで豪邸ばかりが建ち並ぶ閑静な高級住宅街だった。
私は都心で育ったのもあり、車がないと不便な郊外にすぐに嫌気が差し、サンフランシスコのダウンタウンへと引っ越した。
ミッション地区にある大きな一軒家を数人でシェアするかたちで落ち着いた。
なにせ最初がオークランドだったせいもあってか、そこも治安が悪かったのだろうが、あまり気にはならなかった。
それより便利の良さに、とても居心地が良かったのを覚えているが、アメリカ人の友達はうちに来たがらなかった。
毎朝カレッジに通うべく最寄り駅まで歩いていると、1つ2つと使用済みコンドームが落ちている。
「今日は2つだけか…」なんて、数えるのが日課にもなっていた。
ある時は、売春婦がうちの敷地内で商売真っ最中なんてこともあった。
深夜になると、明らかに10代半ばと見られる、まだあどけない少女たちが、派手な格好をしてストリートで客を探していた。
家のオーナーによれば、皆オークランドから出稼ぎに来ているとのことだった。
夜遊びからタクシーで帰っていたら、お金が足りなくなったので、家の2,3ブロック手前で降りようとしたら、運転手が
「ここで降りるのかい!?やめた方がいいと思うよ…」
なんて忠告してきたが、どうせ2,3ブロック先だしと思い降り、小走りで家に向かうと、私の後ろを車が何台も渋滞していた。
そう、売春婦に見られてしまったのだ…。
日中でも怪しいエリアがあり、そこはなるべく避けるようにしていたが、お気に入りのべトナム料理屋があったため、1週間に1度真っ昼間を選んでそこには通っていた。
それでも柄は悪く、ホームレスの老人に"Hey, Jap!"と言われたこともあった。
そもそも、私はアメリカにいてまず日本人に見られたことがなかったので、それを見抜いたその老人に感心してしまい、別に腹は立たなかった。
こちらに移住してからも、相変わらずゲトーから離れられない。
今のこの家に越すまで、短期間だが高級住宅街にある旦那の母親のコンドミニアムに住んでいた。
都会好きな私だが、なんとも穏やかで落ち着く地域だった。
バイクでうろうろしていても、通り過ぎる見知らぬ人々が必ず挨拶をしてくれた。
バイクの鍵を忘れてしまい、少しの間鍵をかけないで放置していても、盗まれることはなかった。
しかし、私はゲトーに戻る運命なのだ。
この街に越した直後の出来事が、本当のゲトーとの出会いだった。
オンラインで注文した荷物が届いたはいいが、こっちの配達業者は人が家にいても、平気で荷物を玄関先に置いていく…。
私もしばらく気付かなかったので、放置されている間、誰かが盗んでいったのだ。
しかも、玄関先で段ボールがカッターの様なもので引き裂かれ、中身だけ抜かれて空の状態で無惨に置かれていた。
「本当のゲトーへようこそ!」と、歓迎されているかのような出来事だった。
この街に長年住んでいる人の話によると、宅配業者の車の後ろを窃盗団が付いて回っているそうな。
そして、置いていく荷物の様子をしばらく見て、片っ端から盗んでいくらしい。
ゲトー慣れしているはずの私でも、さすがに驚くことばかりがここでは起きる。
旦那がうちの裏庭の垣根のところに眼鏡ケースが置いてあったのを見つけたので開けてみたら、そこにはヘロインの吸引セットが入っていたそうな…。
ここは、ちょっとやそっとのゲトーじゃないな…。
我が家は古いので、旦那が少しずつリフォームしていってるのだが、その際にいまだに家の周りや中からおかしなものが出てくる出てくる。
使用済みコンドームは朝飯前。
そこら中に殴り書きされている電話番号。
やたら散らばっているSIMカード。
ここは売春宿だったのか…?
それとも、売人が住んでいたのか…?
恐らく、両方だろう。
元々出不精な私だが、この街に来てから、滅多に1人で家を出ることがなくなった。
以前、旦那とゴミ出しに出た時に、隣人の母ちゃんとすれ違って
「アンタ、滅多に家から出ないよね」なんて言われる始末。
旗から見たら、私の方が怪しく見えてたりするのかもしれない…。
カリフォルニア州に留学していた頃、最初に住んだ街がオークランドだった。
なにせアメリカ自体が初めてだったので、こんなもんかと思っていた。
しかし、今になってオークランドに住んでいたことがあるとアメリカ人に話すと、決まって
「ゲトーじゃん」と言われる。
確かに治安は良さそうではなかった。
当時、そこにある語学学校に通っていたのだが、比較的裕福な子たちが世界中から来ていた。
短期の子たちが多かったのもあり、車を持っている子はほとんどいなかったので、移動はバスかバートを使用していた。
バスに乗っていても、私たち留学生はかなり浮いていた。
そこの住民と明らかに様子が違うからだ。
かといって、トラブルに巻き込まれるようなことは全くなかった。
そこから私はシリコンバレーへと移動した。
当時は、ドットコムバブルで豪邸ばかりが建ち並ぶ閑静な高級住宅街だった。
私は都心で育ったのもあり、車がないと不便な郊外にすぐに嫌気が差し、サンフランシスコのダウンタウンへと引っ越した。
ミッション地区にある大きな一軒家を数人でシェアするかたちで落ち着いた。
なにせ最初がオークランドだったせいもあってか、そこも治安が悪かったのだろうが、あまり気にはならなかった。
それより便利の良さに、とても居心地が良かったのを覚えているが、アメリカ人の友達はうちに来たがらなかった。
毎朝カレッジに通うべく最寄り駅まで歩いていると、1つ2つと使用済みコンドームが落ちている。
「今日は2つだけか…」なんて、数えるのが日課にもなっていた。
ある時は、売春婦がうちの敷地内で商売真っ最中なんてこともあった。
深夜になると、明らかに10代半ばと見られる、まだあどけない少女たちが、派手な格好をしてストリートで客を探していた。
家のオーナーによれば、皆オークランドから出稼ぎに来ているとのことだった。
夜遊びからタクシーで帰っていたら、お金が足りなくなったので、家の2,3ブロック手前で降りようとしたら、運転手が
「ここで降りるのかい!?やめた方がいいと思うよ…」
なんて忠告してきたが、どうせ2,3ブロック先だしと思い降り、小走りで家に向かうと、私の後ろを車が何台も渋滞していた。
そう、売春婦に見られてしまったのだ…。
日中でも怪しいエリアがあり、そこはなるべく避けるようにしていたが、お気に入りのべトナム料理屋があったため、1週間に1度真っ昼間を選んでそこには通っていた。
それでも柄は悪く、ホームレスの老人に"Hey, Jap!"と言われたこともあった。
そもそも、私はアメリカにいてまず日本人に見られたことがなかったので、それを見抜いたその老人に感心してしまい、別に腹は立たなかった。
こちらに移住してからも、相変わらずゲトーから離れられない。
今のこの家に越すまで、短期間だが高級住宅街にある旦那の母親のコンドミニアムに住んでいた。
都会好きな私だが、なんとも穏やかで落ち着く地域だった。
バイクでうろうろしていても、通り過ぎる見知らぬ人々が必ず挨拶をしてくれた。
バイクの鍵を忘れてしまい、少しの間鍵をかけないで放置していても、盗まれることはなかった。
しかし、私はゲトーに戻る運命なのだ。
この街に越した直後の出来事が、本当のゲトーとの出会いだった。
オンラインで注文した荷物が届いたはいいが、こっちの配達業者は人が家にいても、平気で荷物を玄関先に置いていく…。
私もしばらく気付かなかったので、放置されている間、誰かが盗んでいったのだ。
しかも、玄関先で段ボールがカッターの様なもので引き裂かれ、中身だけ抜かれて空の状態で無惨に置かれていた。
「本当のゲトーへようこそ!」と、歓迎されているかのような出来事だった。
この街に長年住んでいる人の話によると、宅配業者の車の後ろを窃盗団が付いて回っているそうな。
そして、置いていく荷物の様子をしばらく見て、片っ端から盗んでいくらしい。
ゲトー慣れしているはずの私でも、さすがに驚くことばかりがここでは起きる。
旦那がうちの裏庭の垣根のところに眼鏡ケースが置いてあったのを見つけたので開けてみたら、そこにはヘロインの吸引セットが入っていたそうな…。
ここは、ちょっとやそっとのゲトーじゃないな…。
我が家は古いので、旦那が少しずつリフォームしていってるのだが、その際にいまだに家の周りや中からおかしなものが出てくる出てくる。
使用済みコンドームは朝飯前。
そこら中に殴り書きされている電話番号。
やたら散らばっているSIMカード。
ここは売春宿だったのか…?
それとも、売人が住んでいたのか…?
恐らく、両方だろう。
元々出不精な私だが、この街に来てから、滅多に1人で家を出ることがなくなった。
以前、旦那とゴミ出しに出た時に、隣人の母ちゃんとすれ違って
「アンタ、滅多に家から出ないよね」なんて言われる始末。
旗から見たら、私の方が怪しく見えてたりするのかもしれない…。
前略、メンタルクリニックの先生
今年の夏、私は出産を予定している。
友人にはすでにメールで知らせているが、親戚などには手紙を出す以外に報告する手段がない…。
そもそも親戚とは疎遠もいいとこなので、生まれてからでいっかとも思う。
そんな時、ふとある人を思い出した。
彼にも私の出産をぜひ報告したい。
日本にいた頃に、数年通っていたメンタルクリニックの先生だ。
私は主に鬱病を患っていたのだが、最初の頃は気が向いた時にだけそこに診察に行っていた。
後半になって症状が悪化し、OD(オーバードース)と自傷行為をして、違う精神科にしばらく入院。
その後は、母親に付き添われて再度そのクリニックへ2週間に1度の頻度で通い、それを1年以上続けた。
今の旦那と知り合ったのは、そのクリニックでの本格的治療が始まって1年になる頃であった。
彼が遊びに来て欲しいとチケットまで買ってくれたので、ぜひ行ってみたいと先生に相談したら、
「もし自分で疲れる旅行になると思うようなら、やめておいた方がいいでしょう」と言われたのを覚えている。
当時、旦那はその母親と短期間だが同居していた。
よって、私の滞在先には彼の母親がいる…。
緊張しないわけがないし、疲れないわけがない。
だが、どうしても彼に会いに行きたかったのだ。
結局会いに行って、すぐに結婚を決め、滞在も3週間の予定を3ヶ月に延長した。
帰国してからは、結婚・移住のためのビザ申請や準備に追われる日々。
すぐにまた渡米する予定だったので、先生にも簡単な事後報告というかたちになってしまった。
今でも覚えている、あの時の先生の戸惑った表情。
そりゃそうだ、しばらく帰って来ないと思ったら、今度は結婚して移住するときたから。
旦那のところに遊びに行く直前辺りに、薬の治療は頓服薬以外は止めていたから、特に問題はないだろうということだったが、また何かあったら今度はアメリカで診察してもらいましょうということになった。
その時はハッピーの絶頂期だったので、もう二度と精神科のお世話になるもんかいと思ったが、渡米後さらに事態が悪化することになろうとは…。(詳細は後述。)
実は、私も幾度となく臨床心理士になりたいと思ったことがあった。
しかし、自分が実際に心の病に冒され、また、河合隼雄氏のある本を読んで、きっぱりと諦めがついたのだ。
他の医者に比べて、メンタル面の治療をする医者は報われない。
だからこそ、先生に出産の報告の葉書を送りたくなったのだ。
まだ鬱病が完治したわけでもなければ、これから出産・育児で精神面でももっと大変なことになるだろう。
それでも幸せに前向きに歩んでることを知ってもらえれば、先生もきっと少しは精神科医をやっていて良かったと思えるかもしれない。
友人にはすでにメールで知らせているが、親戚などには手紙を出す以外に報告する手段がない…。
そもそも親戚とは疎遠もいいとこなので、生まれてからでいっかとも思う。
そんな時、ふとある人を思い出した。
彼にも私の出産をぜひ報告したい。
日本にいた頃に、数年通っていたメンタルクリニックの先生だ。
私は主に鬱病を患っていたのだが、最初の頃は気が向いた時にだけそこに診察に行っていた。
後半になって症状が悪化し、OD(オーバードース)と自傷行為をして、違う精神科にしばらく入院。
その後は、母親に付き添われて再度そのクリニックへ2週間に1度の頻度で通い、それを1年以上続けた。
今の旦那と知り合ったのは、そのクリニックでの本格的治療が始まって1年になる頃であった。
彼が遊びに来て欲しいとチケットまで買ってくれたので、ぜひ行ってみたいと先生に相談したら、
「もし自分で疲れる旅行になると思うようなら、やめておいた方がいいでしょう」と言われたのを覚えている。
当時、旦那はその母親と短期間だが同居していた。
よって、私の滞在先には彼の母親がいる…。
緊張しないわけがないし、疲れないわけがない。
だが、どうしても彼に会いに行きたかったのだ。
結局会いに行って、すぐに結婚を決め、滞在も3週間の予定を3ヶ月に延長した。
帰国してからは、結婚・移住のためのビザ申請や準備に追われる日々。
すぐにまた渡米する予定だったので、先生にも簡単な事後報告というかたちになってしまった。
今でも覚えている、あの時の先生の戸惑った表情。
そりゃそうだ、しばらく帰って来ないと思ったら、今度は結婚して移住するときたから。
旦那のところに遊びに行く直前辺りに、薬の治療は頓服薬以外は止めていたから、特に問題はないだろうということだったが、また何かあったら今度はアメリカで診察してもらいましょうということになった。
その時はハッピーの絶頂期だったので、もう二度と精神科のお世話になるもんかいと思ったが、渡米後さらに事態が悪化することになろうとは…。(詳細は後述。)
実は、私も幾度となく臨床心理士になりたいと思ったことがあった。
しかし、自分が実際に心の病に冒され、また、河合隼雄氏のある本を読んで、きっぱりと諦めがついたのだ。
他の医者に比べて、メンタル面の治療をする医者は報われない。
だからこそ、先生に出産の報告の葉書を送りたくなったのだ。
まだ鬱病が完治したわけでもなければ、これから出産・育児で精神面でももっと大変なことになるだろう。
それでも幸せに前向きに歩んでることを知ってもらえれば、先生もきっと少しは精神科医をやっていて良かったと思えるかもしれない。
