くまたろうの「Over140」

くまたろうの「Over140」

普段は大体ツイッターにいますが、ツイッターの140字では書ききれないことをここで書こうと思います。最近はほぼ100kmウォークのことばかり書いてます。

昨年末に書いた二つの「実家」(2023年総括)という記事の続きをちょっとお話しする。

まず、父は今年1月21日早朝に亡くなった。


そして、母の長期入院は現在(2024/05/10)も続いている。
意識はほぼ回復しているけど、退院の見込みは立っていない。

というわけで、岡山県赤磐市(旧赤磐郡山陽町)の我が実家、
住む人が誰もいない状態が昨年11月以来半年以上も続いている。

もちろん、母はまだ存命中ではあるから、子供が勝手に家を引き払う訳にはいかない。
当面は今の状態を続ける。
しかし、そう遠くない未来に母が亡くなるであろうことは今から想定して、
可能な準備はしておくことになる。


現在、私の実家は「事実上どこにもない」状態。
だから、毎年5月に参加してきた「晴れの国おかやま24時間100キロ歩行」、
昨年までは5/4朝に完歩したその足で、
あらかじめ予約してあったレンタカーを借りて運転して昼前に実家到着、
そして実家で用意してもらってた風呂に入って布団で爆睡、
そしてそのまま実家で一泊…というのが例年のコースだった。
(サポーターとして参加した時も同様)

しかし、今年からは「実家が無い」ので、
完歩したらもうその足で新幹線に乗って神奈川県の自宅に戻ることになる。


というところで、今年の5月2日。
当初は、定時の17時まで仕事して18時前に帰宅し、
そこから改めて出発する(岡山着は23時頃)という予定で、
新幹線と宿も予約してあった。

しかし、その日の現場仕事が、ものすごく早めに終わり、
12時頃にはもう帰宅していた!
というわけで、新幹線の時刻を急遽変更して、
13時過ぎに出発することにした。

もし、この5月2日に母のお見舞いが可能であれば、
最初からその日を休みにして、
15時頃に病院に着くようにセッティングしておきたかった。
しかし、今年の5月2日は「木曜日」であり、
母のお見舞いができるのは「火曜日と金曜日」
だから母のお見舞いは断念した。


しかし、100キロ歩行のコースが、母の入院している病院の真ん前を通る!
例年のペースだとそこを通るのは4日の朝5時とか6時とかになるので、
本当に病院の前を通って「心の中で母に挨拶する」ぐらいしか、私にできることは無い。


せっかくなので「完歩できなくても、せめてその病院前は通過しよう」
ということを今大会における私の最低限とすることにした。

スタートからおよそ87km地点になる。
その地点で、病院の写真を撮ってインスタに上げることも。

というわけで2024年5月3日。私はまたこの大会に帰ってきた。



しかし今年は、昼間の暑さのせいか(それとも加齢による劣化のせい?)
昨年よりもペースが今ひとつ上がらない

例年なら約40km地点の湯次神社を過ぎて始まる「最初の山」を上って降りて
約45km地点の備前中学校に着くあたりで日が暮れるんだけど、
今年はその山を下ってる最中で日が暮れた。

幸いに、日が暮れてからは例年に劣らないペースで歩けたと思う。

今年は、100キロ歩行の最中に撮る写真は、さっき述べた病院前の1枚だけにしようと決めてた。
その1枚を撮った時刻は、朝5時50分頃。
朝5時頃を想定していたので、少し想定より遅くなったけど撮った。



そして、スタッフの万歳三唱に迎えられながら完歩のフィニッシュラインを切りました。
タイムは「22時間56分」、なんとか22時間台に収めた。



完歩してすぐ、帰りの新幹線を予約した。
「EXアプリ」だから、連休中でも簡単にこういうことができる。

そして着替えて、岡山駅に移動。
まずは新幹線待合室でちょっとだけ爆睡。
そして私の乗った新幹線が動き出したらすぐまた、米原を通過したあたりまで爆睡。
なんとか、名古屋でちゃんと乗り換え、そして小田原で在来線に乗り換えて、
平塚駅、そして平塚市内の自宅まで戻った。

とりあえず、これが今年のおかやま100キロ歩行でした。
これで5回目の完歩となり、アイアンチャレンジャーからブロンズチャレンジャーに昇格する資格は得た。
しかし実際に昇格するのは、来年の大会スタート直前になると思う。

もちろんこの大会は大好きだから、来年からも関わり続けたい。
けど、来年あたりまたサポーター(ボランティアスタッフ)をやってみたいという気持ちもあるし、
プロンズの一つ上のシルバーチャレンジャーへの昇格も目指したいし、
もちろん自分と自分たち家族の今後の身の振り方も含めて、
この大会との関わり方ももう少しだけ考えてみたい。