つい先日に坂口安吾の堕落論を読んだ。



正確には

堕落論・日本文化私観 他二十二篇である。




坂口安吾の知識は碌になく、


・太宰治の友達(私は太宰治が好きなのだ)

・無頼派


上記2点のみで読み始めた。浅い。浅すぎる。


実は堕落論が小説でないことすら知らなかった。

(知らない人のために説明すると堕落論は評論である)




だがしかし


この知識の浅さにも関わらず、泣くほどの辛さを抱えることとなる。





蛇足が過ぎたが、内容に触れていきたい。


岩波文庫では堕落論だけではなく、他二十二篇も入っており非常に楽しめる一品である。


すべて書かれた時系列順に収録されているらしい。


基本的には尖った人間であり、色んな人をディスるスタイルである。コンプラは薄め。なかなか今では接することのできない刺すような物言いが面白い。


口は悪いが、納得できることも多い。


文字を何故右から左に書くのか?文字の書き方を考慮すれば左から右に書くのが普通であるという主張が特に的を得ていると感じた。

確かになんで???


今は左から右に書いてると伝えたい。



そして時々出てくる言葉が、

人は生きることが全て

坂口安吾の根底にある考え方の1つだ。


しかしすでにお気づきの方はいるかもしれない。

坂口安吾の友人の太宰治は自殺している。


何を隠そう、今回最も私の感情を揺さぶったのが、太宰治について書かれた最後の2作である。



人は生きることが全てなのに


太宰治に宛てた追悼文

この本の後ろから2番目に収録されている

「不良少年とキリスト」

ではそんなやりきれない思いを綴っている。


自殺したと聞きつけた記者が坂口安吾の元を訪れ狂言じゃないか、匿ってるのだろうと問う。

そうだったらどんなに良かっただろうかと吐露する坂口安吾の悲しみ辛さは計り知れない。


この時点で涙が出てくるのだが、まだ最後の一編が残っている。

紙の本を読んでる人間は読了までは泣くわけにはいかない。ぐっと堪える。


最後の一遍は「百万人の文学」である。

要は歴史的な傑作は何かという議論だ。

漱石でも潤一郎でもないと次々作家を挙げては否定する。

そしてお終いには締め括られる。


太宰治はこの先百年後に千万人の人の魂と結合する。


ここで大号泣する私。


前述したように坂口安吾は色々な人をディスってるのである。


そんな坂口安吾が唯一リスペクトしていた人。

それこそが、太宰治なのだ。



ここまで愛されていて何故自殺したんだ。


今までは太宰治が自殺したのは有名な話であり、何も考えていなかった。


しかし、坂口安吾の慟哭のような太宰治に向けた追悼文を読み、太宰治が自殺した悲しみが湧き上がってきた。


それとともに私より坂口安吾の方が太宰治への愛が明らかに重いことを知り、負けたと思った。(最初から勝負にすらなっていないのは分かってはいる)



暫く太宰治の本は辛すぎて読めない。

というか無頼派の本を控えようと思う。


(と読み終わった時は思ったが、2週間後に太宰治を読んだ。なんで?)



ちなみに坂口安吾の本を読んでると時々太宰治みを感じた。太宰治の地べたを這うようなうだつの上がらない感じである。(決してディスってはない。私は太宰治が好きである。)


太宰治が好きな人にぜひ読んで確かめて欲しい。