『終わりなき戦い』その1 | ジャムを塗ったトーストの異常

『終わりなき戦い』その1

■本末転倒
久しぶりに本の話しますよー。
これ友達からめっちゃ不評なんですが、週に一度のネタパート(【イッセーまとめ速報】のことですよ!)を設けることと引き換えに続けさせてもらいます。だがなんと言おうとこっちが本編だかんな!(泣)

■今回ご紹介するのは、
【『終わりなき戦い』(ジョー・ホールドマン 訳:風見潤 ハヤカワ文庫SF】
ハインラインの『宇宙の戦士』と並び、戦争SFの傑作と呼ばれています。またSF界最高の賞であるヒューゴー、ネビュラ賞の両賞を受賞した、いわゆるダブル・クラウン。

■あらすじ
超光速航法を発見した人類は、その活動を宇宙へと広げた。だが謎の異星人に宇宙船を攻撃されたことに端を発し、トーランと呼ばれるこの異星人との戦争に突入していく。そんな中、エリート徴兵法により徴兵された主人公のウィリアム・マンデラは、苛酷な訓練を受け戦いに赴く。一つの戦いから帰還するたびにウラシマ効果によって数十年、数百年が経過し、家族や知人は世を去り、地球の社会そのものが大きく変容していく。全てを時の彼方に失いながら、マンデラは何世紀にもわたりトーランと戦い続ける……。(Wikiのあらすじを再編集)

■第一印象……おいおい
まずは邦題がダサすぎるだろうって話ですけどね。1972年の作品なのにSF黎明期のテイストがする……アシモフとかっぽいというか。原題はTHE FOREVER WARなのでほとんど直訳ですね。この邦題では今の読者は手に取らないですよ。『マンデラ二等兵の憂鬱』とかだったら、あるかm……ねーよ。

中身の方は……、正直メチャクチャ期待して読み始めたんですよ、けど……肩透かしを食らったような感覚でした。
そもそも敵であるはずのトーランがほとんど出てこない。従って戦闘シーンも少ない。ついでに言うと、人類は最終的に弓と短剣で戦い、トーランはダーツを投げてきます。どんな宇宙戦争だ。
また、超光速航法を使うと船内での数ヶ月が地球での何十年に相当するわけで、ひとつの戦闘を終え帰還するごとに大きく変化した地球社会の様子が描写されます。しかし、そこで描かれるのは星新一のショートショートに出てくるような単発アイデアでしかないんです。例えば人口増加問題について、皆が狭い割り当て区画に住むとか、受けられる医療のランク付けがされるとか。極めつけは同性愛の推奨ですよ。ひねりがないにも程があるだろ。ですので、『華氏451度』『1984年』みたいな仮想社会構造を考察する面白さもない。
残りは訓練、軍隊での生活、船内の生活の描出に割かれています。もちろんそこにもドラマはあるのですが、これまた薄い。
あれ……、俺が読んだのはgdgdな三流SFだったのか?

■どうとくのはなし
これから書くのは、ある人が「ものを観る」上での基本的な「道徳」と考えて書いた言葉です。
『映画とは、そこにただある映像に過ぎません。
そこから何を持って帰るか、われわれに任されています。逆に言えば、映画を見て得られるものは、その本人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない、ということです。』
ここでは映画と述べられています。しかし、同じことは小説にも音楽にも絵画にも演劇にも言えることだと思います。
だから俺は何かの作品に対し直感的に無価値じゃないかと感じても、その意見は自制して、違った観点から捉えられないかと試みます。自分の感性を自ら貶めるようなことは誰だってしたくないですよね?
それにしても、世の中には自分からバカをさらけ出す自称評論家の多いこと多いこと。
まあそれは置いときましょう。
で、行うべきは読み直しです。もう一度読んでみて、見方を変えてみましょう。

つづく