今朝のブログに書きました。
「世界が平和であるめには何をすればいいだろう?」
一軒の小さな服屋であるクレバリも考えます。
おしゃれを通して、ひとりでも多くの人に幸せになってもらいたいと商売をしている小さな服屋も考えます。
難しく思えることは、あえてシンプルに考えてみます。
ちょっとしたことがキッカケで、ケンカになりそうな雰囲気で二人が睨み合っている。
でも、まだ実際に手は出していない。
二人とも、本心ではできることなら殴り合いのケンカは痛いからやりたくないと思っている。
でも、もし、この時に、相手をやっつけることができる武器=方法を手にしたら、この緊張した睨み合いはどうなるでしょうか?
それは確実に、ただの睨み合いから実際に襲いかかるケンカになる確率が高まるでしょう。
人は、心の中に“不安”ができたら、それをなんとか解消しようと対抗的な行動をしようとする強い欲求が起きます。
実際の衝突が起きるかもしれない可能性がある事実がいくら認められても、実際に衝突が起きていない状態と、実際に衝突してしまう状態とは、まったく違う世界です。
どんなに、衝突が起きそうな挑発的な事実が生じていても、実際に衝突してしまうことと、まだ衝突していないことはハッキリと異なる状態なのです。
だから、衝突していない今は、あくまでまだ人々の心の中の“不安”なのです。
ここに、相手をやっつけることができる武器=方法を手に入れる、もしくは方法を広げたら、実際に衝突する可能性は低くなりますか?高まりますか?
「じゃあ、相手が今にも襲いかかって来そうなのに何もしないでいいのか!?」と言えば、どうですか?
そうです、やらないといけないですよ。
実際に殴り合いのケンカにならないためには、話し合わないといけないです。
相手の考えを理解して、こちらの考えも理解してもらう。
お互いの事情で、受け入れることができなくても、ドッシリと構えましょうよ。
譲り合えなくても、お互いの考えと事情を知り合うだけで実際に殴り合うケンカにはなりませんよ。
もし、仮にですよ。相手が一方的に殴りかかってくるかもしれないとしても、そのまだ起きていない“不安”に負けて、衝突の可能性を高める行為をするのと、衝突の可能性を下げる行為を努力することのどちらが安全を確保できます?
今の世界が実際の殴り合いをしないで、平和に仲良くすることは難しいです。
それは事実です。
でも、よく考えてください。
でも、よく考えてください。
難しいのは、実際に殴り合ってしまった間柄が、殴り合うことを止めるのが難しいのですよ。
殴られたら、もしくは自分の大切な人を殴られたら、許し難く殴り返さずにはいられないのが人のレベルです。
増してや、命まで奪われたのなら、その憎しみを堪えることは困難です。
だから、まだ実際に殴り合っていない間柄の時に、いつでも殴れる準備をするより、話し合うことを努力することが大切なのです。
「もう、やったよ!やったけれどダメだったよ!!」
本当にそうでしょうか!?
実際に殴り合う間柄になって憎しみの連鎖を止めれなくなることと比べて、今やっている話し合いの努力はすべてをやりきっていると言えるでしょうか?
絶対にまだやれることはいくらでもあります。
立場や発想を変えれば話し合う方法はいくらでもあります。
安倍さん、おれに任したら??
という訳で、その時に備えて、明日あさって水・木曜定休日、クレバリ店長は休みます

成りたいあなた・世界になれるクレヨンバリュー
12:00~22:00営業 水木定休日
