手紙の彼からメールが着ました。
「もう一度、話をしてもらいたい。」と…
就職している広島市から、「クレバリに日曜日に行ってもいいですか?」と…
一昨夜、再会してお話をしました。
別れ際に、彼から「僕と同じように悩み、大人には相談出来ずに苦しんでいる人が多くいると思います。ぜひブログでこのことを紹介してください。」と言われました。
一昨夜、彼と再会し話をするためにクレバリ閉店後、一緒に歩いてカフェに行きました。
道中「なぜ、神はヒトにだけ高い知能を与えたのか?」と彼に投げかけ話しながら歩きました。
この神とは、特定の宗教によるものではなく、わかりやすく表現するために用いた例えです。
これは、彼との話の序章でした。
みなさんには、本題からお伝えします。
彼は優秀に育ってきました。
昨年、大学を卒業して、りっぱな仕事にも就いています。
しかし、ふと「これでいいのか?」「なにか違うかも?」と強い違和感を抱くようになり苦しんでいます。
彼は、いつのころからか、周りの人の期待に応えるように、自分の発言と行動をとるようになります。
学校も就職も、そうやって結果を出してきました。
就職してから、だんだんやっている仕事に疑問を感じるようになりました。
「僕の人生はこれでいいのか?」
その迷いは悩みになり、これまでどおり周りの人の期待に応えようとするが故に誰にも相談できず、やがてその悩みは苦しみになりました。
そんな中、新年、岡山に帰ってきてクレバリにも来てくれたのです。
近況について話し合っている内に、今の仕事に悩んでいることを打ち明けてくれました。
同じような悩みについて、多くの同世代の人と話をしている私は、彼が話し問いかけることに真剣に答えました。
そして、その新年の夜は別れたのですが、先週、彼から私に手紙が届いたのです。
「一生懸命に話をしてもらったのに、自分の本当の気持ちは話していなかった。」と…
彼の連絡先がわからなかった私は、ブログを通して彼へメッセージを送りました。
これに対して、「もう一度、話をしてもらいたい。」と彼からメールが届きました。
それで一昨夜、お会いしてお話をしたのです。
いろいろな角度から話をして、事実関係を二人で確かめ合いました。
そこで、多くの同じ悩みを抱える人と類似する内容が見えてきました。
親が期待することを察知して、そのように優秀にやってきたのです。
本人も、それが自分がやりたいことと思い込むほどに…
その習慣は、親以外の周りの人たちにも、同様な行動をとってしまいます。
自分の考えが頭に浮かんでも、まず「それをどう相手に伝えたら相手から悪く思われないか。」と考えてから言葉を選んで話します。
何かをする場合にも…
話し合いでは、「コマなし自転車に初めて乗るとしたら」と例えて話しました。
まず、彼は乗り方のマニュアルを読む。
乗る場合にどんなリスクがあるかを調べる。
親がどう臨んでいるかを考えて、親が嫌がる失敗はしないようにする。
やらなくてよいなら、失敗を避けるためにやらない。
どうしても、やらないといけないなら、周りのみんなはどうしているかを確認して同じようにやる。
と、いった具合です。
これを読んで、単純に批判するのは、まだ待ってください。
この自転車の例え話から言えば、やらないといけないのなら、結果ちゃんとやるのです。
しかも、彼の能力からすれば、多くの場合は平均より優れた内容でやってしまいます。
しかし、私の世代と決定的に異なるところは、私なら多くの場合が、自分が走りたいからやる、走れたら楽しいからやるのです。
彼の場合は、走りたい、走れたら楽しそうという強い気持ちはないのです。
周りを見て、やった方が良さそうだからやって、優秀にやってのけるのです。
さあ、ここまで読んで、もうどうにも言いたいことがあるみなさん!
彼や彼と同世代の方々を、単純に批判すれば良いでのしょうか?
私も初めのころは、ダメだなと単純に批判的でした。
でも、クレバリを通じて、数多くの若い世代の方と話していく内に、それには原因と理由があることが見えてきたのです。
彼らの生まれ育ってきた時代背景と親や学校の先生などとの関係のあり方に多くの原因があるのです。
そんな中、彼らは環境に対応して、工夫して生きてきた結果、身につけてきた能力なのです。
それが、大人になり、社会に出る、もしくは出ようとする時に、そんなことはお構いなしに、それより上の世代の人たちが自分たちのやってきたやり方を当たり前として、
彼らと接するから、彼らは多くの場合、拒絶反応を引き起こしてしまうのです。
彼らはなんとか順応しようとそれまで培ってきた経験を活かして、なんとか期待に応えようと努力しているのです。
しかし、親にも先生にも社会の風潮からも“失敗”を許されない空気の中で育った彼らは、本人も親も先生も求める“失敗”をしないように、無意識に“失敗しそうなこと”は避けてきたのです。
ですから、社会においては、何事も与えられた任務は、逃げることは出来ずに、求められる成果を出さないといけない環境に置かれます。
そうすると彼らにとっては多くの場合が、一度の失敗が致命傷になるのです。
失敗をまだしていなくても、失敗するかもしれない可能性のある仕事から逃れられずに毎日任務を果たすことは、彼らにとって大きなプレッシャーであることは少なくないのです。
ここまで読んで、まだ自分たちの価値観を当たり前として、彼らを単純に批判しますか?
彼と一昨夜話し合って、彼も自分のことを理解して、もの凄く周りのことを気にして物事を決めたり発言したりしてきたことに気づいて、強い気持ちをもってやりたいことが特にない自分を持て余しており、今の自分の苦しい原因も徐々にわかってきました。
彼は涙ぐんでいました。
私は、彼に謝りました。
彼をその様にして生きてこなければならなかった環境を作ってきた社会・大人の一員として「本当に申し訳ない。」と謝りました。
景気が低迷する中、活気のない世の中や憧れる大人のいない世の中。
“失敗”に対する寛容さのない社会。責任追及型の社会。
それでいて、本当に効果のあるリスクマネジメントが育っていない社会的構造。(対策を講じたら、その効果より対策をやっているという行為を慣習化する文化。)
これらが要因となって、彼らの周りの大人たちから過度な“失敗への嫌悪感”と“期待”が、彼らを常に襲っているのです。
もちろん、全員が全員ではないですよ。
でも、確実にそれより上の世代と比べた時に明らかに割合が高いのです。
彼らを理解して、彼らを特別視するような揶揄する表現で終わらせるのではなく、これから社会の一員同士、“できるべき”ではなく、やってこなかったことを認め合い、やるべきことをひとつずつやっていくのです。
私たちは彼らを正しく理解して、全員が一緒ではない一人一人を正しく理解し合うことが必要です。
彼らも、今までの思考の癖を認識して、失敗や失敗の可能性に対する対処の方法を、一人で悩まずに理解してもらえるコミュニケーションをリハビリしながら、ひとつずつ経験していく必要があります。
けっして、壊れてはいけません。
壊れないように、ひとつずつクリアしていくのです。
その方法やスピードをそれ以外の世代の大人たちは理解して、また私たちもその接し方について方法を学んで経験していかないといけないのです。
まだ、彼らを単純に批判しますか?
今の時代、それぞれが必死で生きています。
その“必死”のスタイルも世代によって、大きく違うのです。
私は、クレバリを通じ、こうして多くの若い世代の方とお付き合い出来ることに感謝します。
そして、彼らと同じ時代に生きる一員として、自分の出来ること、彼らに対して出来ることをこれからも求められれば一生懸命にやっていきます。
そして、未来に向かって、子育ても楽しみながら精いっぱいやっていきたいです。
またまた、長いお話にお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございます。
これで、彼との約束が果たせました。
あの夜、彼は最後には「やってみます!」というようないい表情で、何度もお礼を言いながら別れましたよ。
そうそう、「なぜ、神はヒトにだけ高い知能を与えた。」と思いますか?
それは、またお会いした時にでもお話ししましょうか。
明日あさってはクレバリは定休日です。
みなさんに伝えたいことを準備しています。
もう少しお待ちくださいね。
では、また金曜日に…
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