私は、午後2時46分が近づくにつれて、胸が締め付けられてきました。
その時が来るのを新聞の特集記事とワンセグで特集番組を見ながら待ちました。
新聞の記事に示された被災地の東北一帯の地図からは、改めて甚大な災害だったと思い起こされました。
2年前の今頃は、みんないつもどおりの生活で、親は一生懸命働き、子どもは学校や保育園、おじいちゃんおばあちゃんは孫の帰りがそろそろかなと暮らしていた時刻。
いつもどおりに夕方にはみんなあの家に帰って、一緒に夕食を共にするはずだったあの日。
それが考えられない膨大な人命を…
黙祷しながら、私は泣いていました。
営業中で店内にお客様がおられたのに、声を殺して泣くしかありませんでした。
でも、私が泣いても勝手ですよね。
被災地のみなさんは、現実と戦いながら生きている。
自分の力のなさに恥ずかしいばかりです。
昨夜見た情熱大陸の川島実さん。
あんな強い人になりたいです。
多くのがんばっている人がいる中、がんばりたいけど方法が見つからない人をなんとか出来る環境にしたい。
がんばっている人に対して、復興行政の矛盾や原発行政・事業の理不尽さを正したい。
なんで日本の専門職や科学者は真実の追及より、組織の正当性を優先する仕事人になってしまったのか。
真実の探求より、組織の正当化、隠ぺいするための道具に専門性を使用するのか。
正したい。
そのままの方が、目の前にある利益、権威、既得権を保持できるように思えるのだろうが、長期的に理性的に考えれば、人が共存して幸せとか利益を分かち合うためには真実による仕組みの構築が望ましい。
原発に関わってきた多くの専門職や科学者は、虚像をあたかも真実であるかのように作り上げるために科学の知識を利用し、巨額のマネーが動かす政治行政を作り上げ、それに関わる人々がそれなしでは生活が成り立たなくなる程の大きな状況を作り上げてきた。
それら一連の取り組みをだれでもが正しくジャッジできる状況を拒むように情報操作も常に努力されてきた。
そして、長い年月が経つ中で、関わる人たちも本当に自分たちは真実なことをやっているのだと自らをも信じさせてしまう状態が生まれて。
なにも起きなければ、それらがすべて正しい真実かのように、すべてが人を社会をうまく廻している仕組みかのように。
震災による原発事故が起きるまでは…
これから、どう学び、どう「あるべき社会」のつくり方を実験実施していくか。
未来が大切です。
過去の偽りの真実が出来上がった経緯は、私たちが被害者で奴らが悪いから起きたのだという整理ではおそらく何も学び取れないと思います。
過去にやってきた過ちは、常に私たちの心の中にあるものなのです。
あいつが悪いことを仕掛けていたのだということは、当事者になれば私もやってしまう可能性が高いことなのです。
だから、わたしが提案したいことを言葉で表すと次のようなことになります。
